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ヴォー・グエン・ザップ

ゔぉーぐえんざっぷ

ベトナムの軍人、政治家。インドシナ戦争、ベトナム戦争、中越戦争でベトナム人民軍を指揮し、ベトナム勝利の立役者となった。

ベトナム軍人政治家。元々は高校の歴史教師で正式な軍事教育は一度も受けていなかったが、軍事マニアが高じて、ひょんなことからベトナム軍総指令官になってしまった、珍しい経歴の持ち主である。


名前を漢字で書くと「武元甲」。ベトナム戦争時の報道などでは「ボー・グエン・ザップ」と表記されることが多かった。


経歴編集

1911年、フランス植民地時代のインドシナに生まれる。反仏学生運動に加わり、大学卒業後に歴史教師となった後も、インドシナ共産党の活動家として多数の論説を執筆した。


1939年にインドシナ共産党が植民地当局に禁止され、妻は獄死。ザップは中華民国内の中国共産党支配地域に亡命し、グエン・アイ・クオック(後のホー・チ・ミン)と知り合い彼の側近の一人となった。日本の敗戦に乗じ、帰国したホー、ザップら共産党指導部は阮朝を倒してベトナム民主共和国を樹立する(八月革命)。


1946年に対仏独立戦争であるインドシナ戦争(ベトナム独立戦争)が開戦すると、戦時中に将兵を育成するためベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学クァンガイ軍政学校を創設して校長に就き、自身の軍事顧問であった日本陸軍将校の石井卓雄少佐が教官を務めた。


彼を含む多くの日本軍兵士が残留して共に戦っており、ザップも軍政顧問であった石井少佐の補佐を受けながら、戦いの中で軍事的才能を開花させていき、ディエンビエンフーの戦いで名を挙げ、フランスからも赤いナポレオンと畏敬の念を抱かれた。


戦後は国防大臣など要職を歴任するが、歯に衣着せぬ言動が疎まれ失脚。ベトナム戦争が始まると総指令官に復帰して北ベトナム軍を指揮し、南ベトナム軍とアメリカ軍と対峙して、ベトナムを再統一に導く立役者となった。戦後はカンボジア侵攻などを指揮するが、党当局の方針(カンボジアの全面占領)に反対したため解任される。


「カンボジア侵攻への懲罰」として起こった中国の侵攻で三度指揮官に返り咲き、中国人民解放軍を短期間で撃退した。


ベトナムが長引く戦争の後遺症とカンボジア占領の負担に喘ぐなか、ザップは閑職に追いやられ、のちに引退を強いられたが、政界引退後もベトナム共産党の一党独裁下で、公然と当局に対する批判を続けた数少ない人物で、ベトナムの若者たちから「真の愛国者」「ザップの兄貴」と慕われた。


2013年、102歳の長寿を全うし没した。

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