インドシナ戦争
いんどしなせんそう
第二次世界大戦終戦後にインドシナ半島で発生した戦争のことを指す。
基本的には、ベトナム・ラオス・カンボジアの独立をめぐって、インドシナ地域でフランスと戦った『第一次インドシナ戦争(ベトナム独立戦争)』のことを指す。
ちなみにベトナム( ベトナム民主共和国 )の独立と、南北統一及びラオスにおける左右両派をめぐって戦われたベトナム戦争およびラオス内戦( ラオス王国と国内左派による内戦であり、結果左派が勝利しラオス人民共和国が成立、東西勢力の代理戦争の意味合いもある )は、総称して『第二次インドシナ戦争』と呼ばれることもある。
1978年1月以降のベトナム・カンボジア戦争( ポル・ポト率いる民主カンボジア=カンボジア共産党とベトナム民主共和国との戦争。結果カンボジアからカンボジア共産党勢力が駆逐される。これもカンボジアを支援する中華人民共和国とベトナムを支援するソ連の代理戦争 )や、1979年以降のカンボジア内戦( 1970年にカンボジアは王国であったが軍部がクーデターを起こす。ベトナムの支援を受けたカンボジア共産党が軍部を追放するも、元々、国境問題を抱えていたベトナムに対し脅威を感じたカンボジア共産党は1978年にベトナムを攻撃するが返り討ちにあう=前述のベトナム・カンボジア戦争。その結果、カンボジアにベトナム軍が駐留するも、国王側と軍部の流れを引く側がベトナムに対し抵抗し紛争が続く。1988年のベトナム軍撤退後、1991年に国際連合の監視下で総選挙が行われ、立憲君主制に復帰 )・中越戦争を総称して『第三次インドシナ戦争』と呼ばれる。
日本軍進駐まで
1883年のフエ条約( トンキンとアンナンを保護国とする条約 )締結によりインドシナはフランスの支配下となる。宗主国であった清朝と清仏戦争になるがこれを退け、タイおよびベトナムに侵略されていたカンボジア・タイを宗主国として持つラオスとともにフランスの「インドシナ植民地」とされた。
第二次世界大戦時の1940年6月にフランス本国がナチスドイツに降伏・占領され、これを受け日本軍は新たに発足したフランスのヴィシー政権と軍事協定を結び、合意の下で同年9月に進駐( 仏印進駐 )を開始、軍事的には日本軍が統治し内政的はフランスが続ける状態にあった。
1944年ごろには予想される連合国軍のベトナム上陸に対する危機感を募らせていた日本は、連合国軍が上陸した際に、フランス植民地軍が日本軍と共にこれを迎え撃つことへの同意を求めたが、解放後のフランス軍はこれを拒否し、1945年3月9日に両軍の間で戦闘が起こり、約3万の日本軍は、警察部隊も含めると9万と言われたフランス軍に勝利( 明号作戦 )、フランス領インドシナ政府を解体し、フランスの植民地支配が終結したと宣言した。( 仏印処理 )
これにともない、後にインドシナでは日本の保護下にあったベトナム帝国( 阮朝の君主を皇帝とした国)・カンボジア王国、ラオス王国( ルアンパバーン王国の国王を君主とした国)がそれぞれ独立を宣言した。
しかし、この時インドシナでは天候不順による凶作に加え、アメリカ軍の空襲による南北間輸送途絶や、フランス・日本軍による食糧徴発によって、トンキンを中心に大飢饉が発生しており大量の餓死者が発生していたが、植民地政府・日本軍は有効な対策を講ずることができていなかった。
ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟会、通称ベトミンはこれを日本軍・ベトナム帝国を攻撃するために利用し「200万人が餓死した」と宣伝工作を行って独立運動の主導権を握り、ベトナム人の抗日感情は強まっていた。
八月革命
ベトミンは日本の降伏文書が調印されたことを受け休戦協定を結び、9月2日に「ベトナム民主共和国」の独立を宣言した。
ベトナム帝国及びラオス・カンボジアの3ヶ国は、日本軍の降伏直前かつ第38軍現地司令部の独断で独立宣言が行われたため、同じく独立したビルマやフィリピンのように日本やその同盟国から国際的な政府承認を受けていなかったため、独立が取り消されてしまう。
その後、旧植民地の再支配、あるいは権益の確保を謀るフランスは、日本軍の武装解除を担当していたイギリス軍、そして降伏後連合国の指揮下に入った日本軍と共同で革命鎮圧戦『マスターダム作戦』を行った。
この時、ホー・チ・ミンの片腕であったボー・グエンザップ将軍( 武元甲、軍人および政治家、赤いナポレオンとも呼ばれるリアルチートの一人 )の証言によれば、「抗日を旗印にしたが、日本が降伏するとホーは『日本人とは戦うな。彼らを保護せよ』といった。日本人はその後もクアンガイの士官学校で軍事指導もしてくれた」としている。
戦闘激化
翌1946年にイギリス軍・日本軍がインドシナから撤退すると、ベトミンとフランス軍は全面衝突する形となった。フランスは、共産主義の拡大を得恐れる米英からの軍事援助を受けてベトミン勢力の掃討を続ける一方、インドシナ諸国独立の潮流を認め、1948年にベトナム・ラオス・カンボジアをフランス連合の枠内で独立国と認めた。しかし、ベトミンはこれを独立とは認めず、中華人民共和国・ソ連から膨大な軍事援助を受けてフランス連合軍を攻撃した。ベトミンは1950年初頭頃から、大規模戦闘は行なわず各地でゲリラ戦を活発化させて大攻勢に転じた。
ジュネーブ協定と南北分断
1954年にはベトミンの攻勢はますます強くなり、ベトミン軍とフランス連合軍合わせて約1万人の戦死者を出した戦時中最大の戦闘であった「ディエンビエンフーの戦い( フランス軍は北西部ディエンビエンフーにベトミンを追い詰めて殲滅する作戦を立てたが、ボー・グエンザップにその動きを読まれて、逆に約10万人という自軍の5倍の兵力で包囲されてしまい、ベトミン軍に8千人以上の戦死者を出させるなどして奮戦するも、補給も絶たれた事で降伏に追い込まれた )」でのベトミンの勝利は同戦争の大きな転機となった。
結果敗北したフランスはインドシナ連邦の維持を諦め、ベトミンとジュネーヴ協定を結び、傀儡国であるベトナム国の領土の北半分をベトミン政権=ベトナム民主共和国( 北ベトナム )と認める事で停戦した。
この際、親フランス・反ベトミン派だった人々を中心にベトミン政権による粛清・弾圧を恐れた約100万人のベトナム人が難民となり南ベトナムへと避難した。またフランスは、このジュネーブ協定で将来的に南北ベトナムは選挙によって統一されると謳った。
ベトミンは大戦中、アジアにおける抗日ゲリラにはよく見られる状況であるがアメリカ合衆国特務機関である戦略諜報局( OSS )による支援を受けながら拡大した組織であった。
しかし終戦後にフランスとの独立戦争になだれ込んだ彼らは、それまで敵であった日本軍の戦闘能力に目をつけ、ベトナム全土で残留日本兵への勧誘活動を行った。
妙齢のベトナム女性が毎晩のように日本軍将兵収容所に現れ勧誘したり、好条件(二階級特進、高給、結婚斡旋など)で参加を求めるベトミンのビラが、サイゴン市内にまで張り出されたこともあり、中には拉致して強制的に参加させられた例もあったといわれる。
ベトミンに参加した日本軍兵士の松嶋春義元陸軍上等兵( 工兵 )は、「あれは大東亜戦争の続きだった。ベトナム人を見殺しにして、おめおめと帰国できるかと思った」と語っておおり、自ら志願してきた者も多かったという。
上述した明号作戦を工作した特務機関とされる『安機関』( 仏印占領中フランス軍工作やベトナム支援にかかわった )の面々も参加しており、個人的な事情やベトナムに対する各種感情によるものなど様々な思いを胸にベトミンに参加した日本軍兵士はデータにある限りでも約600名にも上るという話である。
著名な人物
日本陸軍第34独立混成旅団の参謀であった井川省少佐( ベトナム名:レ・チ・ゴー、1946年戦死 )は、戦争終結以前からベトミンと接触しており、終戦時にベトミンに武器を提供し、ベトミンに参加後はベトナム人兵士に軍事調練を行って、フランス軍とベトミン軍の戦力差を考慮し、遊撃・奇襲戦術を重視するよう進言していた。
また、後述するクァンガイ陸軍中学やトイホア陸軍中学で教官を行っていた石井卓雄少佐( 大戦中ビルマ、カンボジアなどに勤務、日本陸軍最年少の佐官将校、戦後、職業軍人を集める役割を担い、1950年戦死 )は、日本への帰国を拒否してベトミン軍の南部総司令部の顧問としてゲリラ戦を伝授しながらフランス軍と戦った。彼は「敗北の帰還兵となるよりも同志と共に越南独立同盟軍に身を投じ、喜んで大東亜建設の礎石たらんとす」という言葉を残し、ベトナム独立のためにその命を捧げる決意をしていたという。
ベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学やトイホア陸軍中学の教官・助教官全員と医務官は日本人であり、独立戦争の終結後30名を上回る日本人がベトナム政府から勲章や徽章を授与されていることが確認されている。
その周囲
フランス軍は、こういった元日本軍兵士がベトミン戦力の要であるとして、その捕殺ないし帰順( 投降 )工作に熱心であったという。
戦争終結後ベトミンに参加した旧日本兵のうちいくらかはベトナムに帰順し「新ベトナム人」と呼ばれ、現在でも現地へ行き日本人の足どりを訪ねて日本名で尋ねると、「日本人じゃない、新ベトナム人だ!」と怒る人もいたほど、現地に骨をうずめた人もいたが、いくらかは祖国である日本に帰国したものの、祖国の戦争前と戦争後の変化および、当時は冷戦( 東西冷戦 )の最中であり、ベトナムは危険な共産主義を支持する東側の国であったことから、「共産主義国に奉仕した者たち」として冷たい迎え入れであったという( 厳密に言えば、ベトナムは国家資本主義国であり、共産主義国ではないのだが )。
wikipedia:同項目および第一次インドシナ戦争、リンク先
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