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ポル・ポト

ぽるぽと

ポル・ポトとはカンボジアの政治家。
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生涯

ポル・ポトとは「Political Potential」(政治の可能性)という意味のペンネーム。
本名はサロット・サル。しかし彼は、死ぬまで自分がサロット・サルであることを認めなかった。

1928年、現在のカンボジア・コンポントム州の富裕農の家に産まれる。
フランス留学中に共産主義に目覚め、帰国後クメール・ルージュ(カンボジア共産党)での活動を開始する。後に中国共産党の支援を受け、毛沢東の影響を強く受ける。

ベトナム戦争に中立的だったカンボジアだったが、戦争の余波を受け親米派政府軍とシアヌーク国王派による内戦に陥っていた。シアヌークとクメール・ルージュは協力し、ついに政権を奪還したが、すぐにクメール・ルージュが政権を掌握。国名を「民主カンプチア」に変更し、自らも「ポル・ポト」に改名。やがて首相となり事実上のカンボジアの独裁者となる。
そして資本主義や知識層、旧体制を否定する苛烈な政策を行うようになり、国民に強制的な移住・集団生活・結婚・労働などをさせ、子供たちを家族から引き離して工場や軍隊で働かせ、学校や病院、宗教を禁止した。
医師・教員・技術者・帰国留学生・対立派・僧侶などを弾圧・大量虐殺し、大多数の国民が殺されていった。
眼鏡をかけているから知識人に違いない」という完全な言いがかりレベルで殺された者も少なくない。また多くの寺院・文化財も破壊されてしまった。
虐殺された人数は正確には判明していないが、少なくとも4年余りで150万人を越えるといわれている。

1978年1月には隣国ベトナムに侵攻して戦争となったが、ベトナムに亡命した反体制派がベトナムの支援を受けベトナム軍とともに反撃し、ポル・ポトは政権を追われジャングルに敗走していくことになる。

1998年4月15日にポル・ポトは死去(公式には病死とされている)。しかし彼の政権下で行われた虐殺や長引いた戦争は今もカンボジア社会に大きな影を落としている。
諸外国の独裁者に比べると表に出ることをあまり好まず、贅沢などもしていた形跡が少なく、実際面会した相手にも「礼儀正しく誠実」と評される面もある。にも関わらず常軌を逸した大虐殺を行った真の理由は不明な部分が多いが、彼の妥協を許さなすぎる理想主義的な面、猜疑心の強さなどが理由として推察されている。

言葉

ポル・ポトによる子供たち向けに掲げたスローガン
「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。
したがって伝統的な形をとる学校も病院もいらない。貨幣もいらない。
たとえ親であっても、社会の毒と思えば微笑んで殺せ。
今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。
泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。
笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。」

関連タグ

カンボジア 独裁者 共産主義
地雷:「完全な兵士」と賞賛し、国境付近に無計画にバラ撒いていた。いまだ撤去が完了しておらず、カンボジアではこの地雷により四肢や命を失う人が後を絶たない。

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