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北白川宮能久親王

きたしらかわのみやよしひさしんのう

北白川宮能久親王とは幕末から明治時代の皇族。
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概要

伏見宮邦家親王の第九王子、母は堀内信子。

プロフィール

続柄伏見宮邦家親王の第九王子
身位親王
敬称殿下
出生1847年4月1日
死去1895年10月28日
配偶者山内光子、島津富子
子女竹田宮恒久王北白川宮成久王小松輝久二荒芳之(落胤)、上野正雄(落胤)
父親伏見宮邦家親王
母親堀内信子


経歴

弘化4年(1847年)に誕生し翌年に亡き仁孝天皇の猶子になる。安政5年(1858年)に親王宣下し翌年に輪王寺宮慈性入道親王の附弟となり公現と称した。
慶応3年(1867年)に輪王寺を継承。慶応4年(1868年)に戊辰戦争の最初の戦いの鳥羽伏見の戦い後に輪王寺宮は前将軍徳川慶喜の依頼を受けて出発し新政府に慶喜の助命と東征の中止を願ったが助命は条件を示されたが東征中止は一蹴された。その後寛永寺に戻った。輪王寺宮は東北に逃れ奥羽越列藩同盟の盟主。そして仙台藩は明治政府に降伏、輪王寺宮は降伏文を奥羽追討平潟口総督四条隆謌に提出して親王停止と謹慎処分を受けた。翌年に処分を解かれイギリス留学を志願した。その後能久と名乗り早世した弟北白川宮智成親王の遺言で北白川宮を相続。
日清戦争では近衛師団長として台湾に出征したが現地でマラリアに感染し薨去。

外部リンク

北白川宮能久親王 - Wikipedia

関連タグ

皇族 北白川宮 輪王寺

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