宮崎繁三郎
1
みやざきしげさぶろう
宮崎繁三郎は旧日本陸軍の軍人である。
1892年(明治25年)1月4日、岐阜県生まれ。
陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)をごくごく平凡な成績で卒業した後、参謀本部や情報畑の勤務を担当。ノモンハン事件、インパール作戦では日本軍が劣勢である中、帝国陸軍屈指の野戦指揮官として活躍した。最終階級は陸軍中将。
インパール作戦時の上官は牟田口廉也に対する抗命で有名な佐藤幸徳第31師団(通称:「烈」師団)長だったが、佐藤と宮崎の折り合いはあまり良くなかった、とする説も有る。
終戦後はビルマ(ミャンマー)にあるイギリス軍捕虜収容所に収容され、その後1947年(昭和22年)に帰国。東京都で陶器小売店を経営し1965年(昭和40年)8月30日に逝去した。
関連記事
親記事
兄弟記事
コメント
コメントが未記入です