概要
1832年7月13日~1907年3月12日
江戸の生まれで、旧名は佐藤良順で、幕府医官の松本家の養子になった。
その後、幕府が海軍士官養成のために長崎で実施した海軍伝習が行われている長崎海軍伝習所に赴き、そこでオランダ軍軍医のヨハネス・レイディウス・カタリヌス・ポンペ・ファン・メールデルフォールトから西洋医学を学ぶ。
医師となった後は、緒方洪庵が頭取を務める医学所(東京大学医学部の前身)で彼を補佐し、洪庵が没すると後を継いで頭取となり、ポンペ直伝の近代医学教育法を導入した。
将軍侍医も務めており、徳川家茂の主治医として最期まで治療を続けた。
戊辰戦争では旧幕府軍に従軍し、幕府陸軍の軍医として各地を転戦し、仙台で降伏。
放免後に山県有朋らの薦めで兵部省に出仕し、大日本帝国陸軍の初代軍医総監となった。
また、良順は温泉治療や海水浴の効果、牛乳の摂取やマスクの着用の有用性を説き、地元医師らにも提唱したことでそれらを日本人の生活に習慣付かせた。
彼の薦めにより神奈川県大磯町の照ケ崎海岸に開かれた海水浴場は、日本の海水浴場発祥の地といわれている。
創作作品
小説
ゲーム・アニメ
幕府と隊のお抱えの蘭医。雪村千鶴と知り合い。