概要
大日本帝国陸軍の軍人であり、第二次世界大戦中は日本の同盟国であったタイ王国で駐屯軍の司令官を務めていた。最終階級は中将。
戦時中、タイは日本と同盟関係(日泰同盟)にあり、積極的な協力姿勢を内外に示していた。
しかし、戦局の悪化によるタイの動揺や、バーンポーン事件(タイの僧侶が連合軍兵士の捕虜に勝手にタバコを恵んでいたため、誤解した日本軍兵士が殴ってしまったことから起こったタイ警察と日本軍小隊の銃撃戦)などの異国ゆえの習慣の違いから起こった事件により、日本とタイの関係悪化を危惧した日本軍の南方総軍司令部は、タイ方面軍司令部を編成する。
この時に最高司令官に任命されたのが中村明人中将である。
中村将軍は、昭和18年(1943年)から終戦までの間、タイ駐屯軍の司令官を務め、タイの政府・国民から大変信頼され、尊敬されていた。
大戦末期に東條英機首相の失脚や、日本に協力的だったプレーク・ピブーンソンクラーム首相率いる内閣の総辞職により、抗日組織である『自由タイ』が不穏な動きを見せてそれを察知した際は、武装解除させ軍政を敷くべきという軍部内の強硬派の意見に「自由タイは戦局を左右するものではない」「長い目で日タイ関係を見ると相互に戦争や占領という汚点は残すべきでない」として強硬派をなだめた。
このお陰で、中村将軍が司令官を務めていた終戦までの間、日泰間で血を流す事件が起こることは無く、この中村将軍の判断は、戦後においてもタイで好評価されたという。
戦後にa級戦犯の逮捕リストに名前が挙げられ、外地で捕虜となっていたが、後に不起訴釈放となって復員。
昭和30年(1955年)には、中村将軍は国賓待遇でタイに招待され、現地タイ人の群衆から大変な大歓迎を受けた。
その当時の様子を中村将軍は「まるで竜宮城にいった浦島太郎のような思いだ」と語っていたという。
メナムの残照
タイの女性作家トムヤンティ氏が、軍人であった父から聞かされた話をもとにして描いた、日本軍の青年将校と抗日運動家の娘であるタイ人女性の悲恋を描いた作品で、タイでは何度も映画化・ドラマ化がされている国民的人気小説である。
この作品の主人公である日本軍将校の「コボリ(おそらく『小堀』とされる)」は、中村将軍がモデルとされており、彼女の理想の男性像を重ねて書き上げたキャラクターであるという。
原作小説は、奇しくも中村将軍が亡くなる前年に完成し、1969年に雑誌で発表されている。
作品の詳細⇒メナムの残照