概要
日本政府は1950年に施行された警察予備隊令が講和条約締結から180日後に失効すると定められていることから、警察予備隊の改編を必要としていた。
1952年7月31日に保安庁法が成立、それにより翌8月1日に保安庁が設置された。その下に総理府所管の警察予備隊と運輸省海上警備隊をそれぞれ保安隊と警備隊として保安庁第一幕僚監部及び第二幕僚監部の管轄に発足した。
※事務的な手続きで実際に保安隊として発足したのは10月15日だった。
特徴としては、警察予備隊令で定められた「警察力の不足を補う」との文言が、保安庁法では無くなり、あくまでも「重武装の警察組織」だったものが独立した軍事組織としての性格が強くなったことがあげられる。
保安隊の規模は11万人と警察予備隊時代の7万5千人よりも大きくなり、部隊編成も警察予備隊時代の四管区隊とは異なり四管区と一つの方面隊で構成されており、担当は第一管区隊が関東北陸東北。第二管区隊が北海道北部及び東部等。第三管区隊が関西四国。第四管区隊が九州山口。北部方面隊が北海道となっていた。
付属機関も制服組幹部の訓練を行う保安研修所、保安大学校(後の防衛大学校)技術研究所が設けられた。
1954年6月に自衛隊法と防衛庁設置法が成立したことにより、保安庁・保安隊・警備隊はそれぞれ防衛庁・陸上自衛隊・海上自衛隊へと改編され、さらに航空自衛隊が新設されることとなり、保安隊は2年の短い歴史に幕を閉じた。
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警察予備隊:前身