ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

竹田宮恒久王の第一王子、皇籍離脱後の名は竹田恒徳。


プロフィール編集

続柄竹田宮恒久王の第一王子
身位王→皇籍離脱
敬称殿下→皇籍離脱
出生1909年3月4日
死去1992年5月11日
配偶者三条光子
子女恒正王素子女王紀子女王恒治王恒和
父親竹田宮恒久王
母親昌子内親王明治天皇の第六皇女)
役職陸軍中佐・貴族院議員

経歴編集

皇族時代編集

明治42年(1909年)に誕生、陸軍士官学校・陸軍大学校を卒業後は陸軍軍人として大本営参謀という肩書きとして太平洋戦争に参加、戦後の昭和22年(1947年)に皇籍離脱をする。


皇籍離脱後編集

皇族の身分を離れた後は日本馬術連盟会長・日本スケート連盟会長・JOC(日本オリンピック委員会)委員長・IOC(国際オリンピック委員会)委員を歴任した。平成4年(1992年)に死去。



系譜編集

-父:竹田宮恒久王(竹田宮初代、陸軍軍人)

-母:昌子内親王明治天皇の第六皇女)

-妃:三条光子公爵三条公輝の次女)

-長男:竹田宮恒正王

-長女:竹田宮素子女王

-次女:竹田宮紀子女王

-次男:竹田宮恒治王

-三男:竹田恒和


外部リンク編集

竹田宮恒徳王 - Wikipedia


関連タグ編集

皇族 宮家 竹田宮

関連記事

親記事

竹田宮 たけだのみや

子記事

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました