概要
この言葉は東アジアでの用法と、ヨーロッパでのPrince・Dukeの訳語としての用法があり、意味が異なる。事情は爵位の項目に詳しい。
東アジアでの公爵
公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五つの爵位(五爵)の第1位にあたる。
中国の公爵
「公」は、元々は中国の殷周~春秋時代において、王の(実質・名目問わず)有力な臣下を指す言葉であった。周初期の周公旦を始め、春秋時代の魯斉晋秦宋の支配者はいずれも公と名乗った。秦代以降は中央集権化が進み、ほぼ実権のない、貴族の席次や家格を指定するための名誉称号となり、王に次ぐ爵位として定着した。また、周の最高位の三大臣は「三公」と呼ばれ、最高位の三大臣を「三公」とする風習は後の王朝まで続いた。
日本の公爵
日本では明治時代に華族制度が出来、1884年の華族令で五爵制になったあと(皇族を別格とした)第1位の爵位となった。叙爵内規では公爵に叙される者について「親王諸王ヨリ臣位に列セラルル者 旧摂家 徳川宗家 国家二偉功アル者」と定められていた。
親王諸王ヨリ臣位に列セラルル者
- 叙爵内規上こういう定めがあったが、実際には臣籍降下した皇族の叙爵は侯爵か伯爵(各宮家から最初に分家して臣籍降下した皇族は侯爵、二度目以降の臣籍降下は伯爵)であり、公爵に叙された者はなかった。なぜ叙爵内規と異なった運用になっていたかは不明だが、たぶん臣籍降下した皇族を全部公爵にしていると公爵が増えすぎて侯爵の数を抜いてしまうためと思われる。
旧摂家
徳川宗家
国家二偉功アル者
ヨーロッパでの公爵
ヨーロッパにおける公爵は、「地方」と呼ばれるような領域を統治する上位の地方長官の事を指し、中世にはその領域を支配する封建君主、近代には最上位の貴族の爵位(名誉称号)となった。
王から賜るという性格の強かった英国の公爵を除き、欧州大陸国家においては多くの場合君主と同格クラスの家格と見做され、近世における王族の貴賤結婚におけるプロトコルでは公爵(ならびに侯爵)は「賤」とはならない、結婚相手として問題の無い地位であるとされた(無論、各々の家の成立過程によって事情は異なるが)。
大陸ヨーロッパで「貴賤結婚のため継承権を放棄し~」と記述のある者の大半は何も平民と婚姻したわけではなく、王・公・侯(あるいは一部の認められた伯)との婚姻ではなく地方のしがない田舎貴族の伯爵やらと結婚してしまったことが原因となる。
これは、時代が中世から近世になるに連れ、下級貴族の陪臣化が進み、王族階級と大きな差が出来てしまったこと、王族の供給量が安定し継承者を制限する必要性があったこと、王族間での閨閥関係を形成し地位を高めたり安定させる過程で下級貴族の家柄や権力など殆どあてにならないことなどから次第にそうなっていった。
Duke
(羅)Dux
(独)Herzog
この称号はローマ帝国の軍司令官Duxに由来する称号で、フランク王国が分裂した後の神聖ローマ帝国やフランス王国では、主に部族長にこの地位が与えられ、ブリトン人のブルターニュ公、ノルマン人のノルマンディー公、サクソン人のザクセン公、バイエルン人のバイエルン公などが置かれた。
11世紀頃には皇帝や王の権威が弱まり、名目上臣従しているものの、ほぼ独立国として振る舞い地位も世襲されるようになった。こうして成立した公国(duchy)は、ブルグント王国やスコットランド王国など小さな王国に匹敵し、フランスの百年戦争やドイツの三十年戦争ではそういった王国と対等に戦うほどであった。この時期になると単に広い領地を持つ諸侯もDukeと名乗るようになり、現存するルクセンブルク大公国などは都市名を冠している。
フランスでは百年戦争後、ドイツではドイツ統一で中央集権化が進んで封建領主の枠組みが解体されると、領主としての実権のない貴族の名誉称号となった。イギリスでは元々Dukeの称号は使われず、14世紀以降に王族にDuke号が与えられて以降、すぐに薔薇戦争が起きて中央集権となったため、基本的には上位の貴族を示す名誉称号として用いられている。
Prince
(羅)Principatus
(独)Fürst
この言葉はもともとラテン語で国家元首を指す語であり、前述のDux/Herzogや侯爵Markgraf、伯爵Comes/Earl/Grafなどのうち有力な君主を指す普通名詞であった。そこから派生して、王ほどではないがDukeでも侯爵でも伯爵でもない独立君主を指す称号ともなっていく。ドイツ以外ではこれらは王国や公国に匹敵するもので、ウェールズ公国(Principality of Wales)は現在のイギリスでイングランドやスコットランドと並ぶカントリーとして数えられる。十字軍のアンティオキア公国やルーマニア語圏のトランシルヴァニア公国(Principatul Transilvaniei)もこれに類する。現在まで残っているPrincipalityにはモナコ公国、アンドラ公国がある。
Princeも中央集権化が進むと名誉称号となったが、王族に与えられることがあり(イギリス王太子はプリンス・オブ・ウェールズ、スペイン王太子はプリンシペ・デ・アストゥリアスなど)、後にはプリンス・プリンセスは王子・王女を指す普通名詞ともなった。ドイツでも王子はPrinzと呼んでいる。
ドイツでFürst単独で用いられる場合にはGraf(伯爵)より上、Herzog(公爵)より下という扱いであった。このためドイツ史の専門書ではFürstを「侯爵」と訳すことがある。またスラブ語圏ではクニャージ(Князь)という称号がPrinceやFürstと互換性のある称号として用いられていた。ただし、この言葉自体の語源はKingと同じである。
日本でDuchyやPrincipalityに匹敵するような状態が長続きしたことはないが、あえて言えば豊臣政権末期の五大老や、江戸時代の御三家など親藩の大大名がそれに近い。
西洋悪魔学における公爵
西方キリスト教世界において、地獄の悪魔たちも、地上の人間達のような封建制度を持ち、爵位も持つという考えが生まれ、グリモワール(魔導書)類に反映された。
『レメゲトン』第一書「ゴエティア」に記された公爵(Duke)たちは以下の通り。
同書ではPrinceである悪魔についても記載されているが、そちらはプリンスの項目で扱う。
グレモリー:『精霊の職務の書』では公爵に加え、君主(prince)と「キャプテン」を兼任する。
サレオス:『悪魔の偽王国』では公爵ではなく伯爵。
バルバトス:『悪魔の偽王国』では伯爵と兼任。
ムルムル:伯爵と兼任。