西園寺家
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さいおんじけ
西園寺家とは公家の家格、清華家の一つ。
藤原北家閑院流の一族で同じ清華家の三条家と徳大寺家がある。藤原公実の三男通季が家祖である。通季の曾孫公経は承久の乱では幕府側に付いた。公経の子実氏の娘姞子は後嵯峨天皇の中宮となり後深草・亀山天皇の生母となる。以降は西園寺公衡の娘寧子後伏見天皇の女御となり光厳・光明天皇の生母となる。
幕末の当主公望は徳大寺家から養子に入り明治維新後の華族令施行では侯爵に叙爵されたが大正9年(1920年)に公爵に陞爵された。
代 | 氏名 | 生年、誕生日 | 続柄 |
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1 | 藤原通季 | 寛治4年(1090年) | 藤原公実の三男 |
2 | 藤原公通 | 永久5年(1117年) | 通季の長男 |
3 | 藤原実宗 | 久安元年(1145年) | 公通の長男 |
4 | 西園寺公経 | 承安元年(1171年) | 実宗の男子 |
5 | 西園寺実氏 | 建久5年(1194年) | 公経の男子 |
6 | 西園寺公相 | 貞応2年(1223年) | 実氏の次男 |
7 | 西園寺実兼 | 建長元年(1249年) | 公相の長男 |
8 | 西園寺公衡 | 文永元年(1264年) | 実兼の長男 |
9 | 西園寺実衡 | 正応元年(1288年) | 公衡の男子 |
10 | 西園寺公宗 | 延慶3年(1310年) | 実衡の男子 |
11 | 西園寺実俊 | 建武2年(1335年) | 公宗の男子 |
12 | 西園寺公永 | 正平8年/文和2年(1353年) | 実俊の男子 |
13 | 西園寺実永 | 天授3年/永和3年(1377年) | 公永の男子 |
14 | 西園寺公名 | 応永17年(1410年) | 実永の男子 |
15 | 西園寺実遠 | 永享6年(1434年) | 公名の男子 |
16 | 西園寺公藤 | 康正元年(1455年) | 実遠の男子 |
17 | 西園寺実宣 | 明応5年(1496年) | 公藤の男子 |
18 | 西園寺公朝 | 永正12年(1515年) | 実宣の男子 |
19 | 西園寺実益 | 永禄3年(1560年) | 公朝の男子 |
20 | 西園寺公益 | 天正10年4月20日(1582年5月12日) | 実益の男子 |
21 | 西園寺実晴 | 慶長6年(1601年) | 公益の男子 |
22 | 西園寺公満 | 元和8年(1622年) | 実晴の男子 |
23 | 西園寺実尚 | 正保2年(1645年) | 公満の男子 |
24 | 西園寺公宣 | 寛永2年(1625年) | 実晴の男子 |
25 | 西園寺公遂 | 寛文3年2月23日(1663年4月1日) | 実晴の男子もしくは孫 |
26 | 西園寺実輔 | 寛文元年(1661年) | 鷹司房輔の次男 |
27 | 西園寺致季 | 天和3年11月9日(1683年12月26日) | 実輔の男子 |
28 | 西園寺公晃 | 元禄15年7月11日(1702年8月4日) | 致季の男子 |
29 | 西園寺賞季 | 寛保3年8月12日(1743年9月29日) | 公晃の男子 |
30 | 西園寺公兼 | 明和2年(1765年) | 賞季の男子 |
31 | 西園寺実韶 | 安永6年12月7日(1778年1月5日) | 一条輝良の男子 |
32 | 西園寺公氏 | 安永6年(1777年) | 賞季の男子 |
33 | 西園寺寛季 | 天明6年12月5日(1787年1月23日) | 二条治孝の三男 |
34 | 西園寺治季 | 文化6年6月14日(1809年7月26日) | 寛季の男子 |
35 | 西園寺公潔 | 文化15年2月1日(1818年3月7日) | 有栖川宮韶仁親王の王子 |
36 | 西園寺師季 | 文政9年9月1日(1826年10月2日) | 治季の男子 |
37 | 西園寺公望 | 嘉永2年10月23日(1849年12月7日) | 徳大寺公純の次男 |
38 | 西園寺八郎 | 明治14年(1881年)4月22日 | 毛利元徳の八男 |
39 | 西園寺不二男 | 明治43年(1910年)11月26日 | 八郎の三男 |
40 | 西園寺公友 | 昭和18年(1943年) | 不二男の長男 |
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