西園寺公宗
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さいおんじきんむね
西園寺公宗とは、南北朝時代初期に活躍した公卿である。
生没年 延慶3年(1310年)~建武2年8月2日(1335年8月20日)
代々、西園寺家は朝廷と鎌倉幕府との連絡・意見調整を司る関東申次(かんとうもうしつぎ)の職を世襲継承していたが、元弘3年/正慶2年(1333年)に幕府が滅亡したことにより廃止、幕府寄りの人物として知られた公宗は職務の復活と、後醍醐天皇による「建武の新政」の失敗に対する不満もあったことから、第14代執権・北条高時の弟・泰家を自邸にかくまい、鎌倉幕府残党とも連絡を取った。
建武元年(1334年)泰家と公宗らは、後醍醐天皇を公宗の別荘に招いて暗殺し、新政を覆す計画を立てたが、公宗の異母弟・公重の密告により発覚、
反後醍醐帝派は逃亡した泰家を除いて、楠木正成・高師直が統べる武者所に逮捕され、公宗は出雲国に流される途中、名和長年により処刑された。
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