概要
1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇を船上山に迎え、幕府軍と戦う。以降、その軍事力・財力を後醍醐から信頼され、後に天皇が建武の新政を始めたときには伯耆守に任ぜられた。ほかにも恩賞方、記録所、雑訴決断所など建武政権の主要機関の一員として重用されている。後醍醐の信任を得た寵臣としての活躍は、「三木一草」(木=結城親光・楠木正成・名和長年、草=千種忠顕)の「木(伯耆=ホウキのキから)」一人に数えられる。
しかし、1336年6月、九州から攻め上ってきた足利尊氏の軍勢が京都を制圧する。長年は新田義貞と共に比叡山から足利軍を攻めてこれと戦うが、三条猪熊で戦死した。