概要
標高は687m。
はるか昔の大山の噴火によって流れ出た溶岩で山肌が削られたために
今の特異な形になったと伝わる。
頂部はなだらかであるがその周囲を急な崖でおおわれている。
(特に東側の崖が連なってできたところを屏風岩という。)
山にある滝は大きいので3つ確認されており、一枚岩渓谷という渓谷もある。
屏風岩が船の底に見えるので船上山と言われるようになったとされる。
船上山の戦い
非常にマイナーな山ではあるものの隠岐国(隠岐島)から逃れ伯耆国・名和にたどり着いた
後醍醐天皇は近くで勢力を張っていた名和長年の協力のもと船上山にのぼり
挙兵した。本来なら出雲にたどり着くはずだったが風によって名和に流されたのだ。
これを失態とした出雲守護・佐々木清高たちは兵を船上山に仕向ける。
だが、山の上にいるほうが有利であることや地の利を生かした戦法で天皇方が勝利。
即ちこの戦いは後醍醐天皇の復権と鎌倉滅亡へのカウントダウンという大きな転換へとなった。
その他
・船上山ダムが中腹にあり、近くには少年自然の家が建っている。
・もともと寺院があったといわれ、のちに城郭となった(船上山城)
・例によっては落ち武者の霊が出るといわれる。