概要
奈良時代から平安時代に、朝廷から各令制国に派遣された地方行政官。中級・下級貴族が任命され、任期は6年で途中から4年になったが、実際には任期が終わらないうちに交代している者が多かった。
権限はとても強く、税金の徴収から軍事・司法警察権まで幅広く有していた。大変に実入りの良い職であり、任期中は施政そっちのけで私腹を肥やすのが当たり前で、「受領は倒るるところに土をもつかめ」と言われるほどの強欲ぶり(『今昔物語集』。受領は国司の内の最上席の者)が今に伝わる。あまりにも収奪が悪どかったために観察使による摘発や地方官人との対立が記録に残り、平将門や藤原純友の反乱も国司の横暴が原因とされている。
律令体制の崩壊と武士の台頭で後世には形骸化したが、南北朝時代には北畠顕信(北畠親房の次男)が伊勢国司に任官、後を継いだ親房の三男・顕能も織田信長に滅ぼされるまで代々世襲した。
戦国時代以後は守護官名を勝手に称するものが大量に出た。江戸時代には武家官位という形で事実上将軍が任命する称号に変質したが、制度は明治維新の養老律令廃止まで残っていた。
担当国名から等級に応じて○○守、○○介、○○掾(じょう)、○○目(さかん)と呼称されていた(大和国なら大和守など)。