概要
プロフィール
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦6年11月7日(1756年11月28日) |
死没 | 寛政7年10月14日(1795年11月25日) |
官位 | 従一位、関白、左大臣 |
主君 | 桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 一条家 |
父母 | 父:一条道香、母:家女房 |
兄弟 | 輝良、徳川治保室、久我信通室 |
妻 | 懿姫(徳川重倫の娘) |
子 | 忠良、実韶、宅慈、和子、輝子 |
経歴
宝暦12年(1762年)に正五位下、従四位上、左少将、左中将に進み、同年に従三位となる。権中納言、権大納言、左近衛大将を経て明和8年(1771年)に内大臣に就任、その後従一位、右大臣を経た後の天明7年(1787年)に左大臣となり寛政3年(1791年)に関白となる。光格天皇の父典仁親王の尊号を幕府に求めるが実現に至らなかった。