ピクシブ百科事典

一条昭良

いちじょうあきよし

一条昭良は江戸時代初期の公卿、藤氏長者の一人、一条家の養子になり後を継いだ。
目次[非表示]

後陽成天皇の第九皇子、摂関家の一つ一条家の養子となり後を継いだ。以降一条家は皇別摂家となった。
官位は従一位、摂政関白左大臣
後水尾天皇近衛信尋は同母兄にあたる。

生涯

(1605年)旧暦4月26日(6月12日)に後陽成天皇の第九皇子として生まれる。幼名は九宮母は中和門院近衛前子。1609年に一条内基の養子となり兼遐(かねとお)を称した。1629年に関白に就任。後に摂政に就任。1635年(寛永12年)名を昭良(年代にずれはあるが、「昭」の字は将軍足利義昭からの偏諱であると思われる)に改め、摂政を退任している。1647年(正保4年)摂政に再任され、その後関白となった。1652年(承応元年)落飾して恵観と称した。1641年(寛永18年)ごろから洛北西賀茂に山荘を営み、醍醐家の祖となった次男冬基に伝領された。1672年(寛文12年)旧暦2月12日(3月11日)に死去。享年68

系譜

父:後陽成天皇
母:近衛前子
養父:一条内基
同母兄:後水尾天皇
同母兄:近衛信尋
同母兄:高松宮好仁親王
妻:織田頼長の娘
妻:西洞院時直の娘
長男:一条教輔
次男:醍醐冬基

関連項目

朝廷公卿皇室皇族摂関家皇別摂家 一条家

コメント