君主制をとる国において、君主(皇帝・天皇・国王等)が何らかの事由で政務を執れない、あるいは困難な場合にそれを代行する役職、及びその役職にある者のこと。
君主と何らかの血縁関係にある者が就任する例が多い。
日本史における摂政
飛鳥時代に推古天皇即位に際して聖徳太子が任ぜられたのが最初とされる(異説有)。
平安時代中期以降幕末まで藤原氏及びその末裔たる摂関家(五摂家)が初期には天皇の外祖父たる資格により幼少の天皇に代わって政務を執り、後にはその家格により長く独占した。なお、同じような役職として関白があるが、摂政が天皇の幼少期に限り職務を代行するのに対し、関白は天皇が成年に達していても天皇の代理人として職務を代行し続けるというちがいがある。
近代には旧憲法下、明治18年(1885年)、内閣制度の創設により伊藤博文が初代総理大臣に就任、太政官制度は廃止され、これまで存続していた太政大臣、左大臣、右大臣などの役職も廃止された。
その中にあって摂政だけは天皇が職務を遂行できない場合、皇族がその職務を代行するため存続し、その定めに従って大正天皇の皇太子である裕仁親王(昭和天皇)が大正10年(1921年)11月から大正15年(1926年)12月に天皇が崩御するまで務めた例がある。日本国憲法及び現皇室典範にも規定されているが、令和元年(2019年)12月現在、現憲法下で摂政が置かれた例はない。
なお、現憲法第5条には天皇が成年に達しない場合(皇室典範16条1項)か入院、事故等で政務を執れない場合(皇室典範16条2項)には、皇室の中から国事行為臨時代行を置くことができることとなっているほか、天皇の外遊時にも臨時代行を置くこととなっている。
主な摂政
日本
聖徳太子(厩戸皇子) 初めて日本で摂政になった人物とされているが、皇太子であったという説、天皇に即位していたという説もある。
藤原良房 藤原摂関家として初めてこの職に就いたといわれている。
藤原道長 摂政・関白など朝廷の高位を藤原一族が独占していたころの人物。摂関政治