概要
藤原冬嗣の次男、母は藤原美都子、官位は従一位、摂政、太政大臣、清和天皇の外祖父。
経歴
誕生から清和天皇即位まで
延暦23年(804年)に誕生、蔵人頭・大学頭・参議・権中納言に進む、承和9年(842年)の承和の変では皇太子恒貞親王派の橘逸勢・伴健岑らを排除し恒貞親王を廃太子として仁明天皇と妹順子の皇子道康親王を皇太子に立て大納言となる。承和15年(848年)に右大臣、嘉祥3年(850年)に道康親王が即位し文徳天皇となり同年に娘明子が皇子惟仁親王を出産し親王を皇太子に指名し斉衡4年(857年)に太政大臣となる。
摂政
天安2年(858年)に惟仁親王(清和天皇)が即位し実権は良房が行う。貞観8年(866年)に応天門の変によって応天門が放火され伴善男が源信を犯人と疑うが良房と天皇によって無実が確定した、後に犯人が善男だと判明し善男は失脚、同年に摂政となり摂関家として勢力を強化した。貞観14年(872年)に死去。