恒貞親王
0
つねさだしんのう
恒貞親王とは平安時代前期の皇族。
天長2年(825年)に誕生、天長10年(833年)に仁明天皇即位に伴い皇太子となる。皇太子に指名されたことに不満を持ち辞退を申し出るが通らなかった。承和9年(842年)に嵯峨上皇が崩御、同時に伴健岑、橘逸勢などの側近が処罰され親王も廃太子となる(承和の変)。事件後に三品に進むが後に出家して恒寂という法名を受け大覚寺の初祖となる。元慶8年(884年)に陽成天皇廃位後に藤原基経から皇位を求められるが辞退した。同年に死去。
コメント
コメントが未記入です