概要
伴真臣の子、役職は春宮坊帯刀舎人。
経歴
皇太子恒貞親王の春宮坊帯刀舎人となるが承和9年(842年)に橘逸勢と共に恒貞親王を守る計画を阿保親王に伝えるが後に阿保親王が皇太后橘嘉智子に伝わったため嵯峨上皇崩御後に事件の首謀者として捕らえられ隠岐国へ流された(承和の変)、後の貞観7年(865年)に赦免されたが誤りであり出雲国へ流された。
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