概要
父は不詳だが、伯父は旅人であり宿奈麻呂という説がある、官位は正四位下、左大弁。
経歴
天平5年(733年)に遣唐留学生として唐へ渡る。帰国後に従五位下となる。天平勝宝元年(749年)に左少弁、天平勝宝4年(752年)に遣唐副使として再び唐へ渡る。翌年の天平勝宝5年(753年)の正月の唐の朝賀の式では新羅使と席次の争いをするが上席となる。同年に鑑真を船に乗せて帰国した。後に左大弁・正四位下に進む、天平宝字元年(757年)に道祖王が廃太子となり池田王を推すが藤原仲麻呂によって大炊王が皇太子となった、同年の橘奈良麻呂の乱では奈良麻呂と共に反乱計画を進めていたが事態が発覚し捕らえられ拷問を受け獄死した。