概要
伴善男の子、官位は従五位上、右衛門佐。
経歴
斉衡4年(857年)に従五位下となる。後に従五位上、右衛門佐となるが貞観6年(866年)に応天門放火事件により父善男と共に捕らえられ隠岐国へ流された(応天門の変)、後の元慶4年(880年)に放免されたが国司の誤りであり石見国へ遷された。
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