概要
大伴古麻呂の子、官位は従五位下、左少弁。
経歴
宝亀8年(777年)に遣唐判官として唐へ渡り翌年の宝亀9年(778年)に帰国するが船が難波したが肥後国天草へ漂着、帰京後に従五位下となる。能登国・伯耆国の国司となり延暦2年(783年)に左少弁となる。延暦4年(785年)に長岡京造営使の藤原種継が暗殺され事件の関与者として処刑された。また子の国道や旅人の孫で家持の子の永主も流罪になった。
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大伴古麻呂の子、官位は従五位下、左少弁。
宝亀8年(777年)に遣唐判官として唐へ渡り翌年の宝亀9年(778年)に帰国するが船が難波したが肥後国天草へ漂着、帰京後に従五位下となる。能登国・伯耆国の国司となり延暦2年(783年)に左少弁となる。延暦4年(785年)に長岡京造営使の藤原種継が暗殺され事件の関与者として処刑された。また子の国道や旅人の孫で家持の子の永主も流罪になった。
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