藤原種継
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ふじわらのたねつぐ
藤原種継とは奈良時代の公卿。
祖父宇合が亡くなった天平9年(737年)に誕生。
父清成の事績はのちに活躍した良継や百川、広嗣と一緒に処刑された綱手といった兄弟たちと違い不明だが伯父広嗣が赴任先の太宰府で起こした反乱に連座させられた可能性が高いと見られている。
天平神護2年(766年)に従五位下、美作守・伊予守・山城守などの国司を歴任し宝亀9年(778年)に左京大夫となる。延暦元年(782年)に参議、翌年の延暦2年(783年)に従三位、桓武天皇から信頼を受け延暦3年(784年)に中納言となり同年の長岡京へ遷都のため造長岡宮使に任じられた。しかし翌年の延暦4年(785年)に長岡京造営中に大伴継人(伴善男の祖父)などの反対派に暗殺された。
種継死後は子の仲成が後を継ぎ平城天皇期には妹の薬子と共に専横を極めた。しかし、嵯峨天皇期に、平城上皇を擁して謀反を起こそうとしたため先手を打たれ仲成は処刑され薬子は自決したことで式家は完全に衰退することになる。
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