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概要

生没年 延暦5年(786年)~承和5年(840年)
第50代・桓武天皇の第三皇子として生誕、母は藤川百川の娘・旅子、諱は大伴という。異母兄に安殿親王(第51代・平城天皇)、神野(賀美能)親王(第52代・嵯峨天皇)らがいる。

当初は朝廷に仕える官吏として兵部卿、治部卿、中務卿を歴任、大同4年(809年)、病気がちの異母兄・平城天皇の譲位を受けて神野(賀美能)親王が即位、上皇の第三皇子・高丘親王が皇太子として立てられることとなった。しかし、直後に上皇の健康が回復、政治的野心をよみがえらせ朝廷とは別の政令を乱発、腹心の藤原仲成、尚侍・藤原薬子(仲成の妹)も加担し天皇復位に動き出した。

大同5年(810年)9月、平城上皇が平城京遷都を命令したことにより、嵯峨天皇は朝政を混乱させた藤原仲成を捕らえて処刑、薬子の官位を剥奪して自害させる一方、東国に逃亡した平城上皇を捕らえると、上皇近臣を追放したうえ、上皇を平城京に幽閉、直後に弘仁に改元された(薬子の変)。

平城上皇の失脚後、皇太子・高丘親王(上皇の第三皇子)は廃され、新たな皇太子として大伴親王が立てられることとなる。

弘仁14年(823年)、嵯峨天皇の譲位を受けて即位、平城上皇の治政下にあった混乱は嵯峨・淳和二代にわたって改められ、朝廷は安定を取りもどしていく。

  • 勘解由使の再設置…交替国司間の紛争を防ぐ官職、大同4年(809年)、観察使に職掌が移されていた。
  • 巡察使を諸道に派遣、国司の人選を良吏に…公卿の意見を入れ、有能な人材を派遣、勧農政策がすすめられた。
  • 大規模な勅旨田の設定…皇室財源の企図。
  • 勅撰史書「日本後記」の編纂。
  • 「令義改(りょうのぎげ)」全10巻の完成…律令の解説書。

天長10年(833年)2月、皇太子・正良親王に譲位(第54代・仁明天皇)、皇太子に淳和天皇の第二皇子・恒貞親王が立てられた。

承和7年(840年)5月、崩御、大原野西嶺上陵に葬られたとされる。

上皇の死後すぐに、皇太子・恒貞親王と親王の近臣に謀反の疑いがかけられて、承和9年(842年)、廃され、出家に追い込まれる(承和の変)、中納言・藤原良房の陰謀とされている。

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平安時代 桓武天皇 平城天皇 嵯峨天皇

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