概要
経歴
慶安5年(1652年)3月22日に正五位下、同月23日に元服をする。その後左近衛少将に就任。同年12月24日に従四位上、寛文元年(1661年)に左近衛中将、その後権中納言に就任した。
寛文8年(1668年)に従二位、翌年の寛文9年(1669年)に右近衛大将、右馬寮御監に就任。その後寛文11年(1671年)に徳大寺実維が内大臣辞任し内房が就任。延宝元年(1673年)に正二位、延宝3年(1675年)に右近衛大将から左近衛大将に就任。翌年の延宝4年(1676年)に左大将を辞任。延宝5年(1677年)に右大臣、延宝8年(1680年)冬経と改名。
天和2年(1682年)に関白に就任。本当は左大臣近衛基熙が就任するはずだったが。霊元天皇が冬経に従一位・関白・藤氏長者に任命された。貞享4年(1687年)東山天皇が即位し、摂政に就任。その後元禄2年(1689年)に摂政から関白。元禄3年(1690年)に幕府と手を結んだ基煕に関白の座を追われ、元禄7年(1694年)に従一位、元禄11年(1798年)に兼輝と改名し、宝永2年(1705年)死去。