ピクシブ百科事典

霊元天皇

れいげんてんのう

第112代天皇、江戸時代初期に在位した天皇。
目次[非表示]

概要

生没年 承応3年(1654年)~享保17年(1732年)8月
第108代・後水尾天皇の第十九皇子。羽林家・園家13代当主・園基音の娘・国子を母として生誕、幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)という。第109代・明正天皇は異母姉、第110代・後光明天皇、第111代・後西天皇は異母兄にあたる。

第108代・後水尾天皇

時代は江戸幕府の草創期にあたる。後水尾天皇は昭和天皇に次ぐ長命の天皇として知られ、幕府と政治的に対立した天皇としても知られる。元和元年(1615年)、幕府は「禁中幷公家諸法度」を発布させたのち、元和6年(1620年)、2代将軍徳川秀忠の五女・和子を強引に入内、朝廷への関与を深めていく。これに対し後水尾天皇は幕府に無断で僧侶に紫衣を与える「紫衣事件」(寛永4年(1627年))を起こし、幕府に相談することなく第二皇女・興子内親王(和子の娘)への譲位を断行した(明正天皇)。

即位から譲位まで

承応3年(1654年)、生後間もなく第110代・後光明天皇の養子とされ、皇位継承者とみなされるが、直後に天皇は崩御、朝廷は識仁親王が成長するまでの間、式部卿を務めていた後水尾法皇の第八皇子・良仁親王が皇位を継承をすることとなった(後西天皇)。
寛文3年(1663年)、後西天皇の譲位を受けて即位、貞享4年(1687年)、第四皇子・朝仁(あさひと)親王に譲位(第113代・東山天皇)、仙洞御所において院政を開始した。

政治姿勢

幕府に対して強硬な姿勢をとることが多く、貞享元年(1684年)に退位の意向を示したときには5代将軍・徳川綱吉から慰留されたほか、幕府の意をくむ関白近衛基熙とも対立、幕府の介入を招いて院政の停止を余儀なくされ、東山天皇に政務をゆだねることとなった。

事績

有職故実に明るいことで知られる。太嘗祭をはじめとする朝廷儀礼の復活に力を尽くし、諸記録類を整理した『法皇八十御賀記』を撰したほか、歌道にも励んでいる。

享保17年(1732年)8月崩御、月輪陵(つきのわのみささぎ)に葬られた。

諡号

諡号としては本来、「幽」や「霊」は中国でも国を傾けた君主に対して贈られる、きわめて縁起の悪い諡号として忌避されているが、霊元天皇は国を滅ぼしたわけでも、傾けたわけでもない。
これには天皇の意思が反映されており、みずから神話時代(欠史九代)の第7代・孝霊天皇から「霊」と第8代・孝元天皇から「元」を選び、諡号とされたそうである。

余談

後光明天皇は後水尾天皇の第四皇子であると同時に羽林家12代当主・園基任の孫にあたる。霊元天皇は後水尾天皇の第十九皇子であると同時に羽林家13代当主・園基音の孫にあたる。このことから後光明天皇は基任にととって孫であると同時に霊元天皇は曾孫ということになる。歴史上よくあることだが、これらの事実から後光明天皇にとって霊元天皇は異母弟であると同時に従甥であるというややこしい血縁関係になっている。

関連タグ

江戸時代 江戸幕府 後水尾天皇

pixivに投稿された作品 pixivで「霊元天皇」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 21

コメント