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第六代江戸幕府征夷大将軍、元甲府藩主。
甲府藩主・徳川綱重の子。同母弟に松平清武。甲府藩主時代には綱豊と名乗っていた。
父親の徳川綱重は、三代将軍徳川家光の息子で四代将軍家綱の弟で五代将軍綱吉の兄。

 徳川綱重の長男として生まれるが、母親はお手つきとなった身分の低い女中であり、父が正室を娶る前だったこともあって、生まれてすぐ家臣に預けられた。9歳のときに、父に世継ぎができなかったことで呼び戻され、元服して綱豊と名乗った。17歳で綱重が死去し甲府藩主となった。四代将軍の家綱が重態となったときには、叔父の館林藩主徳川綱吉とともに将軍候補となったが、老中堀田正俊が綱吉を強力に推したため、綱豊は五代将軍になれなかった。

 しかし、結局は綱吉にも世継ぎができず、43歳で綱吉の養子になり「家宣」と改名した。なお、綱豊が将軍の養子になったことで甲府藩は幕府に吸収された。
 
5年後に綱吉が死んで将軍に就任すると、それまで幕府内で大きな権力を握っていた柳沢吉保をはじめとする綱吉の側近勢を総じて一掃し、甲府以来の側近間部詮房と学者の新井白石を登用して、生類憐れみの令などの綱吉時代の評判の悪い制度は廃止しつつ、文治政治を推し進めた(正徳の治)。
 将軍就任後わずか3年で死去。3歳の長男家継が将軍職を継いだ。政治は引き続き間部詮房と新井白石が主導した。

将軍としての統治期間こそ3年と短かったものの、上述の「生類憐れみの令」の悪評判な部分を廃止した事や綱吉時代に専横を極めた側用人達を一掃した事から民衆(特に江戸市民)からは救世主の如く崇め奉られ、評判は非常に良かった。


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