生没年 1675(延宝3)年~1710(宝永6)年
在位 1687(貞享4)年~1709(宝永6)年
諱 朝仁
第112代・霊元天皇の第四皇子。母は羽林家・松木家出身の典侍・松木宗子。
経歴
1683(天和3)年に300年ぶりとなる立太子の礼がおこなわれて皇太子となる。
貞享4年(1687年)に即位、大嘗祭の儀式を復活させる。221年間絶えていたが父の霊元上皇が幕府に働きかけての復活であった。
在位期間中の1705(宝永2)年、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉が皇室領である御料を1万石加増さし3万石となった。
宝永6年(1709年)に第五皇子・慶仁親王(中御門天皇)に譲位して上皇となるが、同年に崩御。
皇統
- 中宮:幸子女王 ー 有栖川宮幸仁親王の王女
・秋子内親王 ー 伏見宮貞建親王妃
・一宮
・二宮
・寿宮
・慶仁親王(第114代・中御門天皇)
・福宮
・直仁親王
- 典侍:冷泉経子 ー 冷泉為経の娘
・公寛法親王
- 掌侍:高辻長豊の娘
・光明定院宮
・聖祝女王