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閑院宮直仁親王

かんいんのみやなおひとしんのう

閑院宮直仁親王とは江戸時代中期の皇族。宝永7年(1710年)に世襲親王家の一つ、閑院宮家を創設する。
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東山天皇の第六皇子、母は従一位、内大臣櫛笥隆賀の娘・藤原賀子(新崇賢門院)、同母兄弟に中御門天皇がいる。御息所は関白近衛基熙の娘・藤原脩子(八百君)。幼名は秀宮
官位弾正尹、准三宮

生誕

宝永元年9月9日(1704年10月7日

死没

宝暦3年6月3日(1753年7月3日

経歴

当時、既にあった宮家(伏見宮有栖川宮・桂宮)は何れも天皇とは遠縁であり、皇統の断絶を危惧するも即位となれば天皇の近親者が相応しいとの考えから宝永7年(1710年)8月10日、新井白石の建議により創設された。享保3年(1718年)霊元上皇より直仁親王へ閑院宮の家号と所領1000石が下賜された。伏見宮・有栖川宮・桂宮・閑院宮を合わせて4宮家(四親王家)という。

閑院宮邸は京都・公家町南西にあり、明治に入り閑院宮家が東京に移ってからは宮内省京都支庁・厚生省管理事務所などを経て近年は環境庁京都御苑管理事務所として利用されていた。

王子、王女(早世したのは除く)

王子

女房:左衛門佐讃岐(伊藤一中娘)
第二王子:俊宮 のちに寛義王、公啓入道親王(天台座主)
第三王子:寿宮 のちに閑院宮典仁親王(第二代閑院宮)
女房:中野さち(長祥院)
第四王子:淳宮 のちに鷹司輔平鷹司家継承)

王女

妃:近衛脩子(八百君)
第一王女:始宮 のちに治子女王(西本願寺湛如室)
女房:左衛門佐讃岐(伊藤一中娘)
第三王女:栄宮 のちに尊信女王
第四王女:格宮 のちに室子女王(京極宮公仁親王室)
第五王女:幾宮 のちに高覚女王(真如高覚)
第六王女:五十宮 のちに倫子女王(徳川家治室)
女房:中野さち(長祥院)
第八王女:八千宮 のちに博山元敝

光格天皇 (典仁親王の第六王子)
閑院宮美仁親王 (典仁親王の第一王子)(第三代閑院宮)
鷹司政煕鷹司輔平の子)
徳大寺実堅鷹司輔平の子)(徳大寺家の養子)

関連項目

皇室 皇族 宮家 閑院宮 鷹司輔平

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