概要
九条家3代九条道家の三男一条実経が始祖で一条殿に住んだのが由来、室町時代の当主一条兼良は学者として有名、子の教房は応仁の乱で土佐に移り土佐一条家を創始し戦国大名となる。江戸時代に入り一条内基に子がなかったため後陽成天皇の第九皇子兼遐が養子になった。幕末の当主忠香は公武合体派として尊攘派の公家と対立、明治維新後実輝の代になって公爵に叙爵。
皇室との関係
一条兼香の娘富子は桃園天皇の女御であり後桃園天皇を産む、一条忠香の娘美子は明治天皇の皇后となった。
歴代当主
代 | 氏名 | 生年、誕生日 | 続柄 |
---|---|---|---|
1 | 一条実経 | 貞応2年(1223年) | 九条道家の四男 |
2 | 一条家経 | 宝治2年12月6日(1248年12月22日) | 実経の男子 |
3 | 一条内実 | 建治2年(1276年) | 家経の男子 |
4 | 一条内経 | 正応4年7月17日(1291年8月12日) | 内実の男子 |
5 | 一条経通 | 文保元年12月15日(1318年1月18日) | 内経の長男 |
6 | 一条房経 | 貞和3年╱正平2年(1347年) | 経通の男子 |
7 | 一条経嗣 | 正平13年/延文3年(1358年) | 二条良基の三男 |
8 | 一条兼良 | 応永9年5月7日(1402年6月7日) | 経嗣の六男 |
9 | 一条教房 | 応永30年(1423年) | 兼良の長男 |
10 | 一条冬良 | 寛正5年6月25日(1464年7月29日) | 兼良の二十三男 |
11 | 一条房通 | 永正6年(1509年) | 一条房家の次男 |
12 | 一条兼冬 | 享禄2年(1529年) | 房通の男子 |
13 | 一条内基 | 天文17年(1548年) | 一条房通の次男 |
14 | 一条昭良 | 慶長10年4月26日(1605年6月12日) | 後陽成天皇の第九皇子 |
15 | 一条教輔 | 寛永10年5月2日(1633年6月8日) | 昭良の男子 |
16 | 一条冬経 | 慶安5年4月13日(1652年5月20日) | 教輔の男子 |
17 | 一条兼香 | 元禄5年12月16日(1693年1月21日) | 鷹司房輔の男子 |
18 | 一条道香 | 享保7年10月10日(1722年11月18日) | 兼香の男子 |
19 | 一条輝良 | 宝暦6年11月7日(1756年11月28日) | 道香の男子 |
20 | 一条忠良 | 安永3年3月22日(1774年5月2日) | 輝良の男子 |
21 | 一条実通 | 天明8年8月2日(1788年9月1日) | 忠良の男子 |
22 | 一条忠香 | 文化9年2月13日(1812年3月25日) | 忠良の四男 |
23 | 一条実良 | 天保6年2月28日(1835年3月26日) | 忠香の男子 |
24 | 一条忠貞 | 文久2年(1862年) | 醍醐忠順の三男 |
25 | 一条実輝 | 慶応2年8月24日(1866年10月2日) | 四条隆謌の七男、忠貞の再従兄弟 |
26 | 一条実孝 | 明治13年(1880年)3月15日 | 大炊御門師前の長男 |
27 | 一条実文 | 大正6年(1917年)8月10日 | 実孝の長男 |
28 | 一条実昭 | 昭和20年(1945年)8月6日 | 実文の長男 |
次当主 | 一条実綱 | 昭和51年(1976年) | 実昭の長男 |