概要
歴史
江戸時代に昭良の次男冬基は従兄弟の霊元天皇から醍醐の姓を賜られ創始した。父昭良は後陽成天皇の第九皇子であり皇室の男系子孫である。以降は冬基・冬熙・兼潔まで続いて3代当主兼潔(その後経胤に改名)は始め本家一条家から兼純を迎えた。その後兼潔に冬香と輝久の兄弟が誕生した。その後冬香・輝久・輝弘・忠善まで続いたが忠善が2歳で早世したが輝弘が再び家督を継ぎ忠順が誕生した。ことで忠順に家督を継がせた。
明治維新後は忠順が侯爵に叙爵された。ところが忠順の次男忠敬は甥の格太郎に射殺される事件が発生した。家督は再び忠順が継いだ。その後は忠順の孫忠重が家督を継ぎ忠重は海軍に入り階級は中将にまで昇進したが戦後に戦犯指定され昭和22年(1947年)に銃殺刑となった。以降醍醐家は皇室の男系子孫の系統を途絶えず現代も続いている。
歴代当主
代 | 氏名 | 生年、誕生日 | 続柄 |
---|---|---|---|
1 | 醍醐冬基 | 慶安元年6月14日(1648年8月2日) | 一条昭良の次男 |
2 | 醍醐冬熙 | 延宝7年5月4日(1679年6月12日) | 冬基の男子 |
3 | 醍醐経胤 | 享保2年7月15日(1717年8月21日) | 冬熙の男子 |
4 | 醍醐兼純 | 延享4年10月16日(1747年11月18日) | 一条兼香の男子 |
5 | 醍醐冬香 | 宝暦元年11月21日(1752年1月7日) | 経胤の男子 |
6 | 醍醐輝久 | 宝暦10年6月13日(1760年7月25日) | 経胤の男子 |
7・9 | 醍醐輝弘 | 寛政3年4月27日(1791年5月29日) | 輝久の男子 |
8 | 醍醐忠善 | 文政2年(1819年) | 輝弘の長男 |
10・13 | 醍醐忠順 | 文政13年3月17日(1830年4月9日) | 輝弘の次男 |
11 | 醍醐忠告 | 嘉永元年(1848年) | 忠順の長男 |
12 | 醍醐忠敬 | 嘉永2年10月4日(1849年11月18日) | 忠順の次男 |
14 | 醍醐忠重 | 明治24年(1891年)10月15日 | 忠敬の男子 |
15 | 醍醐忠宜 | 大正15年(1926年) | 忠重の長男 |
16 | 醍醐忠久 | 昭和3年(1928年) | 忠重の次男 |
17 | 醍醐忠紀 | 昭和33年(1958年) | 忠久の男子 |
次代当主 | 醍醐忠明 | 平成5年(1993年) | 兼香の男子 |