概要
正親町天皇の玄孫忠幸王が始祖で臣籍降下をして源の姓を賜られ源忠幸と名乗った。その後は尾張国の名古屋城に住んだ。その後は公家となって大納言にまで昇った。忠幸には男子がいなかったことで久我家から養子を迎えたが家禄を1000石から500石に減らされた。広幡家は近衛家から偏諱を受けている、明治維新後は忠礼の代になって侯爵に叙爵。
広幡家の人物
代 | 氏名 | 生年、誕生日 | 続柄 |
---|---|---|---|
1 | 広幡忠幸 | 寛永元年(1624年) | 八条宮智仁親王の第三王子 |
2 | 広幡豊忠 | 寛文6年6月26日(1666年7月27日) | 久我通名の男子 |
3 | 広幡忠誠 | 不詳 | 豊忠の男子 |
4 | 広幡忠章 | 不詳 | 豊忠の男子 |
5 | 広幡忠成 | 不詳 | 豊忠の男子 |
6 | 広幡長忠 | 宝永8年4月4日(1711年5月21日) | 豊忠の男子 |
7 | 広幡前豊 | 寛保2年2月20日(1742年3月26日) | 長忠の男子 |
8 | 広幡前秀 | 宝暦12年12月2日(1763年1月15日) | 前豊の男子 |
9 | 広幡経豊 | 安永8年6月25日(1779年8月7日) | 前秀の男子 |
10 | 広幡基豊 | 寛政12年4月22日(1800年5月15日) | 経豊の男子 |
11 | 広幡忠礼 | 文政7年6月28日(1824年7月24日) | 基豊の男子 |
12 | 広幡忠朝 | 万延元年11月9日(1860年12月20日) | 忠礼の男子 |
13 | 広幡忠隆 | 1884年(明治17年)12月11日 | 忠朝の男子 |
14 | 広幡増彌 | 1903年(明治36年) | 伊藤安吉の男子 |
15 | 広幡忠恒 | 1937年(昭和12年) | 増彌の男子 |
16 | 広幡幸子 | 1968年(昭和43年) | 忠恒の女子 |