徳大寺家
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とくだいじけ
徳大寺家とは公家の家格の清華家の一つ。
藤原北家閑院流の一族で実能が始祖で白河・鳥羽・崇徳・後白河天皇の外祖父となったため
勢力を上げ清華家の家格となる。徳大寺の姓の由来は初代当主実能が山城国葛野郡に山荘を建て徳大寺殿と称したのが由来、明治維新後は実則が侯爵に叙爵しその後公爵に陞爵した。現在の徳大寺家の当主は徳大寺実啓で実啓は皇室に近い系統である。
代 | 当主 | 生年、誕生日 | 続柄 |
---|---|---|---|
1 | 徳大寺実能 | 永長元年(1096年) | 藤原公実の四男 |
2 | 徳大寺公能 | 永久3年(1115年) | 実能の男子 |
3 | 徳大寺実定 | 保延5年(1139年) | 公能の男子 |
4 | 徳大寺公継 | 安元元年(1175年) | 実定の男子 |
5 | 徳大寺実基 | 建仁元年(1201年) | 公継の男子 |
6 | 徳大寺公孝 | 建長5年(1253年) | 実基の男子 |
7 | 徳大寺実孝 | 永仁元年(1293年) | 公孝の男子 |
8 | 徳大寺公清 | 正和元年(1312年) | 実孝の男子 |
9 | 徳大寺実時 | 暦応元年(1338年) | 公清の男子 |
10 | 徳大寺公俊 | 応安4年/建徳2年1月7日(1371年1月24日) | 実時の男子 |
11 | 徳大寺実盛 | 応永7年8月5日(1400年8月24日) | 公俊の男子 |
12 | 徳大寺公有 | 応永29年2月5日(1422年2月26日) | 実盛の男子 |
13 | 徳大寺実淳 | 文安2年5月17日(1445年6月22日) | 公有の男子 |
14 | 徳大寺公胤 | 文明19年1月27日(1487年2月20日) | 実淳の男子 |
15 | 徳大寺実通 | 永正10年12月21日(1514年1月16日) | 公胤の男子 |
16 | 徳大寺公維 | 天文6年(1537年) | 近衛尚通の男子 |
17 | 徳大寺実久 | 天正11年8月16日(1583年10月1日) | 花山院定熙の男子 |
18 | 徳大寺公信 | 慶長11年7月15日(1606年8月18日) | 実久の男子 |
19 | 徳大寺実維 | 寛永13年3月1日(1636年4月6日) | 公信の男子 |
22 | 徳大寺公全 | 延宝6年7月10日(1678年8月26日) | 醍醐冬基の男子、後陽成天皇の曾孫 |
23 | 徳大寺実憲 | 正徳4年1月18日(1714年3月4日) | 公全の男子 |
24 | 徳大寺公城 | 享保14年10月17日(1729年12月7日) | 実憲の男子 |
25 | 徳大寺実祖 | 宝暦3年1月6日(1753年2月8日) | 西園寺公晃の男子 |
26 | 徳大寺公迪 | 明和8年6月19日(1771年7月30日) | 実祖の男子 |
27 | 徳大寺実堅 | 寛政2年5月23日(1790年7月5日) | 鷹司輔平の男子、東山天皇の曾孫 |
28 | 徳大寺公純 | 文政4年11月28日(1821年12月22日) | 鷹司輔煕の男子、鷹司輔平の曾孫 |
29 | 徳大寺実則 | 天保10年12月6日(1840年1月10日) | 公純の男子 |
30 | 徳大寺公弘 | 文久3年8月14日(1863年9月26日) | 実則の男子 |
31 | 徳大寺実厚 | 1887年(明治20年)12月10日 | 公弘の男子 |
32 | 徳大寺公英 | 1919年(大正8年)11月2日 | 実厚の長男 |
33 | 徳大寺実啓 | 1946年(昭和21年) | 公英の長男 |
次 | 徳大寺公信 | 1980年(昭和55年) | 実啓の長男 |
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