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プロフィール

時代平安時代鎌倉時代
生誕保延5年(1139年)
死没建久2年閏12月16日(1192年2月1日
官位正二位、左大臣
主君近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇
氏族徳大寺家
父母父:徳大寺公能、母:藤原俊忠の娘
兄弟忻子、坊門殿、実定、多子、実全、藤原実家、実守、公衡、公慶、実宴、実任、実印、実快、藤原師長室、藤原通重室、藤原邦綱室、源資賢室
藤原顕長の娘、藤原師長の娘、上西門院女房備後
公綱、公守、公継、道雲、公広、公厳、良全の母

経歴

保延5年(1139年)に誕生、永治元年(1141年)に従五位下、左兵衛佐、左少将、左中将に進み保元元年(1156年)に従三位となる。後に権中納言、右衛門督に進み、永暦元年(1160年)に中納言、長寛2年(1164年)に権大納言、皇太后大夫に進んだ後に大納言、寿永2年(1182年)に内大臣、文治2年(1186年)に右大臣、文治5年(1189年)に左大臣に就任した。後に出家し建久2年(1191年)に死去。

人物

林下集という家集がある。また歌人として千載和歌集や新古今和歌集に歌が採録されている。百人一首後徳大寺左大臣として歌がある。

ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる

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