無題byかんづめ一般人物徳大寺実能0とくだいじさねよし徳大寺実能とは平安時代後期の公卿。pixivで「徳大寺実能」のイラストを見るpixivで「徳大寺実能」の小説を読むpixivで「徳大寺実能」のイラストを投稿するpixivで「徳大寺実能」の小説を投稿する0編集する編集履歴55800更新:653日前問題を報告英語版記事を作る目次1 概要2 プロフィール3 経歴4 人物5 外部リンク6 関連タグ概要藤原公実の子、官位は従一位、左大臣、徳大寺家の祖。プロフィール時代平安時代生誕 永長元年(1096年)死没 保元2年9月2日(1157年10月6日)官位 従一位、左大臣主君堀河天皇→鳥羽天皇→崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇氏族徳大寺家父母父:藤原公実、母:藤原隆方の娘兄弟実行、通季、実能、璋子、他妻藤原顕隆の娘、藤原宗忠の娘、藤原通季の娘子公能、公親、公保、幸子、他経歴長治元年(1104年)に従五位下、後に侍従・蔵人・左少将となり元永元年(1118年)に中宮権亮となった。保安2年(1121年)に従三位、翌年の保安3年(1122年)に権中納言、その後検非違使別当となり保延2年(1136年)に権大納言、久安6年(1150年)に内大臣、保元元年(1156年)に左大臣となり翌年の保元2年(1157年)に従一位。人物娘幸子は藤原頼長の正室であり摂関家との関係を築いたが保元の乱では後白河天皇側についたという。外部リンク徳大寺実能 - Wikipedia関連タグ公家 平安時代 閑院流 徳大寺家関連記事親記事徳大寺家とくだいじけ兄弟記事徳大寺実堅とくだいじさねかた徳大寺公純とくだいじきんいと徳大寺実則とくだいじさねつね徳大寺公弘とくだいじきんひろ徳大寺実厚とくだいじさねあつ徳大寺公英とくだいじきんひで徳大寺公全とくだいじきんたけ徳大寺実憲とくだいじさねのり徳大寺公城とくだいじきんむら徳大寺公能とくだいじきんよしもっと見るコメントコメントが未記入ですコメント 0件 を見る