概要
プロフィール
時代 | 平安時代 |
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生誕 | 永長元年(1096年) |
死没 | 保元2年9月2日(1157年10月6日) |
官位 | 従一位、左大臣 |
主君 | 堀河天皇→鳥羽天皇→崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇 |
氏族 | 徳大寺家 |
父母 | 父:藤原公実、母:藤原隆方の娘 |
兄弟 | 実行、通季、実能、璋子、他 |
妻 | 藤原顕隆の娘、藤原宗忠の娘、藤原通季の娘 |
子 | 公能、公親、公保、幸子、他 |
経歴
長治元年(1104年)に従五位下、後に侍従・蔵人・左少将となり元永元年(1118年)に中宮権亮となった。保安2年(1121年)に従三位、翌年の保安3年(1122年)に権中納言、その後検非違使別当となり保延2年(1136年)に権大納言、久安6年(1150年)に内大臣、保元元年(1156年)に左大臣となり翌年の保元2年(1157年)に従一位。
人物
娘幸子は藤原頼長の正室であり摂関家との関係を築いたが保元の乱では後白河天皇側についたという。