生没年 1139(保延5)年~1155(久寿2)年
在位 1142(永治元)年~1155(久寿2)年
諱 躰仁(なりひと)親王
第74代天皇・鳥羽天皇の第9皇子。異母兄に第75代・崇徳天皇、第77代・後白河天皇(雅仁親王)。
生涯
鳥羽上皇の寵妃であった藤原得子の子であったことから、3歳で即位した。
在位中は鳥羽上皇の院政がおこなわれたことで実権はなく、久寿2年(1155年)に17歳で崩御した。
後継天皇を巡って、得子の養子となった雅仁親王の第1皇子・守仁親王を即位させたい鳥羽法皇と自身の皇子である重仁親王を皇位につけたい崇徳上皇の対立が露わとなった。結局守人親王即位までの中継ぎとして雅仁親王が後白河天皇として即位したことで、鳥羽法皇・崇徳上皇両派の対立は決定的となり、翌年の鳥羽法皇の崩御によって武力衝突へと至る。