徳大寺公純
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とくだいじきんいと
徳大寺公純とは江戸時代末期から明治時代の公卿
嘉永3年(1850年)に権大納言。安政4年(1857年)に議奏。安政5年(1858年)に日米修好通商条約で条約に反対し井伊直弼の安政の大獄で処罰された。その後復帰し公武合体派として活動する。文久4年(1864年)に右大臣に就任。明治維新後は京都に残った。明治16年(1883年)に死去。
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とくだいじきんいと
嘉永3年(1850年)に権大納言。安政4年(1857年)に議奏。安政5年(1858年)に日米修好通商条約で条約に反対し井伊直弼の安政の大獄で処罰された。その後復帰し公武合体派として活動する。文久4年(1864年)に右大臣に就任。明治維新後は京都に残った。明治16年(1883年)に死去。