高倉天皇
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たかくらてんのう
平安末期の第80代天皇。諱は憲仁。後白河天皇の第三皇子。母は建春門院。子に安徳天皇・後高倉院・後鳥羽天皇。二条天皇と以仁王の異母弟。
プロフィール
生没年:応保元年(1161年)~治承5年(1181年)
在位:仁安3年(1168年)~治承4年(1180年)
父:後白河天皇
このため清盛は母方の伯父にして舅に当たる。
第一皇子:言仁親王(のちの安徳天皇)、母は建礼門院
第三皇子:尊成親王(のちの後鳥羽天皇)、母は七条院
なお、血筋は後鳥羽天皇を経由し現在の皇室につながっている。
生涯
後白河上皇の第三皇子として平治の乱終息後の応保元年(1161年)に生まれる。
誕生直後から、憲仁王を当時皇子がいなかった二条天皇の後継者にしようとした平時忠・藤原成親らが解官されるなど、波乱の人生を歩む。二条天皇の死後は六条天皇が継いだが平家との連携をさらに強めたい後白河院の思惑により六条帝を退位させ憲仁親王が即位する。治承三年の政変(1179年)によって後白河院が幽閉されると、翌治承4年(1180年)2月、高倉天皇は3歳になる言仁親王に譲位して自ら治天の君となる。清盛の傀儡であったのか、自ら後白河院に代わって政治を行う意思があったのかは諸説ある。
しかし、これが兄の以仁王の反乱を誘発し福原遷都の失敗と全国各地での源氏を中心とする反乱の勃発のさなかに、高倉院は21歳で早世してしまった。
美男で有名でその寛大な人柄は周りの人々から慕われるほど。
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