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平時子

たいらのときこ

平清盛の継室。平家一門の支柱として活躍した。
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概要

平時子(1126-1185)は平安時代末期の女性である。父は平時信で、平家は平家でも武家ではなく堂上平氏と呼ばれる中級貴族、桓武平氏高棟王流の出身である。母は令子内親王の半物(つまり侍女)であるが姓名は未詳。同母弟に平時忠、異母妹に平滋子がいる。正室・高階基章の娘に先立たれた平清盛の継室となり、平宗盛平知盛平徳子建礼門院)、平重衡等を生む。

経歴

平治の乱の後に二条天皇の乳母となり、永暦元年(1160)従三位に任ぜられる。続いて応保元年1161年には滋子と後白河上皇との子、憲仁親王(後の高倉天皇)の乳母となる。仁安三年(1168)2月,夫・清盛が病の後に出家すると、共に出家する。承安元年(1171)に娘の徳子が高倉天皇に入内したので従二位となり、二位の尼と呼ばれる。徳子は後の安徳天皇を生み、清盛夫妻は天皇の祖父母となった。以上、時子は清盛の政権を忠実に支えて皇室で活躍していると言えよう。

養和元年(1181)に清盛が死し、実子の宗盛がその家督を継ぐと、時子は一門を後見する立場となる。文治元年(1185)に壇ノ浦の戦いにて平家一門が滅亡すると、三種の神器のうち宝剣(草薙剣の形代、つまりは神霊の依代として崇拝されていたレプリカ)と共に入水した(『吾妻鑑』)。『愚管抄』では安徳天皇を抱いて宝剣と神璽(こちらは三種の神器八尺瓊勾玉の実物)を持って入水したとする。『平家物語』でも同じ説を取り、安徳天皇に「波の下にも都はございます」と語って水中に没している。神璽は後に回収されたが、宝剣は今なお平家一門と共に壇ノ浦の底に沈んでおり、敵将・源義経が兄・頼朝の怒りを買ったのも安徳天皇を保護できなかったこととこの宝剣を熱心に探さなかったことが一因であるといわれている。

全体的に貴族側の立場から平家の人々には手厳しい『愚管抄』も、時子については「実に腹のすわった女性であった」と簡潔に称賛している。

関連タグ

平家 平家物語

義経 演者:松坂慶子
平清盛(大河ドラマ) 演者:深田恭子

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