平時忠
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たいらのときただ
平安時代末期の公家。平家全盛期を象徴する言葉、「平家にあらずんば人にあらず」を遺したとされる。
平安時代末期の公家。平清盛の義弟で平家政権全盛期を招来した人物の一人。正二位権大納言に昇り、その権勢の大きさから「平関白」の異名で呼ばれた。
堂上平氏こと桓武平氏高棟流の生まれで、平氏ではあっても血縁で見れば清盛との縁は非常に遠い。
同母姉に平清盛の正室平時子、異母妹に後白河上皇の寵姫平滋子があり、第81代天皇・安徳天皇の父帝である第80代天皇・高倉天皇(滋子の子)、安徳帝の母となる平徳子、清盛の嫡男である異母兄・重盛の死後、平家の棟梁となった清盛の三男・平宗盛、船弁慶と呼ばれた四男・知盛、堂々とした態度で敵将・頼朝を感嘆させた五男・重衡(いずれも時子の子)の叔父もしくは伯父にあたる。このような血縁関係を生かして権勢をふるった。
単純な血縁だけでなく、官吏としても辣腕の持ち主であったようで、頼朝は「智臣の誉ある」と評価している。
この頃、『平家物語』で彼が語ったとされる名言「平家にあらずんば人にあらず」(「此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」)は平家一門の権勢を表わしていることで有名である。
ただし、「人非人」とは、「宮中で出世できない人」と言う意味であったとされ、現代語で解釈すると少々誤解を招く。
後に源平合戦に敗れた平家一門に同行し、壇ノ浦の戦いで源義経に捕縛された(後に娘を義経に差し出して自ら助命を願ったという)。
義経に接近して権力を保とうとするが、義経と頼朝の対立が深刻化し、結果として能登国に流罪とされ、同地で生涯を終えた。
また、時忠の息子時実も上総国に流罪になっているが、こちらは後に赦免されて京都に戻り、公卿になっている。
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某大いなる河にハマり続けた昨年。最終回後にちまちま書いてたSS。つまりそのキャラの、その後の妄想捏造SS。 □□□壇ノ浦後、流罪になった時忠の話。ということで清盛は一ミリも出てきません。むしろ時忠の独白と、時忠と禿の羅刹の再会しかない。流罪となって能登で細々と生きてる時忠の所に、盛国死後に羅刹がやって来る話。文中はそうでもないけど水面下で時忠→姉上前提かもしれません。時忠と羅刹は一応(疑似)親子愛のつもりなんですが、腐って見える可能性高いです。もう本当に色々とすみません。 □□□書いてみたら、流人の時忠は「今日が昨日か、昨日が明日か分からない、流人というより廃人」時代の頼朝みたいになったりその反面凄い優しくなったり、羅刹も優しいし穏やかっていうか天使か、ってなってしまいましたorzずっと一年間見てきて皆好きなんですが特に時忠が好きで…最終回を見て「時忠あらずんば!鎧姿!しぶとく生きたあぁ!禿おぉ羅刹!」ってなってつい暴走してしまいました…4,283文字pixiv小説作品羅刹とよばれて
大河観終えて具合悪くなって(泣きすぎて)具合悪いぐええええっつって寝たら逆に早くに目が覚めたのでその分ちょっとだけ時間が出来たので殴り書いたものです。禿ちゃん達にしあわせになってほしかったのに仄暗い私の心がこうしてしまった。いつか羅刹は実は時忠が救ってあげて二人でしあわせに暮らしましたという話を書きたいのですがまたしても仄暗属性が暴れだすような気がして自分で自分が心配です。大河第三期は好き好き大好き超愛してるよりも萌えで吐血ばかりでどうしていいのやら/(^o^)\///遮那王が! 美しすぎて!!! 御神体!!! 明るい萌えをありがとう遮那王と弁慶!!!///盛国盛は鉄板ヤッホー!!!///あ、相変わらず崇徳様が大好きです。崇徳様の話も書きたい。///まだ手が痛いのでめっさタイピングミスだらけで書いてます。///禿ちゃんたち生きてた!!!!!!! 脳内で時忠の家で養子として扱われることになった禿ちゃんたちが時忠宅の食べ物を食べまくっていて陽気でヤッホイ! 時忠の薪の前の顔が「正直養うのしんどい…」に見えてきた。1,570文字pixiv小説作品