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三条家

さんじょうけ

三条家とは公家の家格の清華家の一つ
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本性

藤原北家の閑院流出身、家祖は藤原公実の次男三条実行が祖である。実行は最初は八条だったが、子の三条実教と孫の三条実房は屋敷が三条高倉に構えたことが由来。

歴史

平安時代

2代公教鳥羽上皇の後見役として権威をふるった。3代実房は「愚昧記」の著者である。公事の師と仰がれていた。跡継ぎは実房の長男公房が後を継ぐ。ところが実房の三男公氏も三条を称したので公房流を転法輪三条、(てんぽうりんさんじょう、てぼりさんじょう)、公氏流を正親町三条(おおぎまちさんじょう)と呼び区別するようになった。

戦国時代

戦国時代の当主三条公頼は、防長二国の戦国大名大内義隆を頼って山口に滞在していたが、その地で大内家の重臣陶隆房の反乱に巻き込まれ、殺害されている。公頼の跡を継いだ養子実教も早世したが、分流の三条西家から実綱が養子に入って家名を保った。

江戸時代

江戸時代の家禄ははじめ269石余、のちに469石余。公家としての家格は摂家に次ぐ清華家で、代々、と装束の調達を家業とした。

幕末から明治時代まで

幕末・明治時代には、明治維新の功臣三条実万三条実美父子を輩出している。特に三条実美は、内閣総理大臣が置かれるまでの日本の首相にあたる右大臣太政大臣(史上最後)の職を務めたことで著名である。

1884年の華族令の施行に当たり、旧・清華家の当主は原則として侯爵とされたが(徳大寺家西園寺家は後に公爵に陞爵)、三条家のみは、当主実美が維新に勲功があったとして、当初より公爵に叙された。

分家

正親町三条家大臣家
三条西家大臣家
滋野井家羽林家
姉小路家羽林家
花園家羽林家
ほか

関連項目

朝廷 公家 清華家 公爵

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