概要
藤原忠通の四男近衛基実が始祖、近衛殿に住んだのが由来、摂関家の分家には鷹司家がある。安土桃山時代の当主近衛前久は羽柴秀吉を猶子にした。前久の子信伊には子供がいなかったことで前久の孫で後陽成天皇の第四皇子近衛信尋を養子に迎え近衛家を継がせた。信尋の孫基煕は歌人として有名基煕の子家熙は文人・茶人として有名、幕末の当主である忠煕・忠房親子は公武合体や八月十八日の政変など加わった。明治維新後は公爵に叙爵し篤麿は貴族院議長に就任した。篤麿の子文麿は父と同じく貴族院議長・内閣総理大臣に就任した。
現当主・近衛忠煇は日本赤十字社名誉社長であり、元国際赤十字赤新月社連盟会長(アジア地域出身初の赤十字社会長)。
忠煇は肥後細川家(熊本藩主・細川侯爵家)出身で17代目当主・細川護貞の次男。母親が文麿の娘・温子であり、文麿の長男文隆が戦後捕虜生活を経て客死したため、当主を継承した。なお、肥後細川家18代目当主で元内閣総理大臣(第79代)・元熊本県知事(第45・46代)の細川護熙は忠輝の実兄。
また忠煇の妻は皇族の三笠宮崇仁親王の長女。その長男・次期当主の忠大はNHK職員などを経て現在は映像作家などをつとめている。
歴代当主
代 | 氏名 | 生年、誕生日 | 続柄 |
---|---|---|---|
1 | 近衛基実 | 康治2年(1143年) | 藤原忠通の四男 |
2 | 近衛基通 | 永暦元年(1160年) | 基実の長男 |
3 | 近衛家実 | 治承3年1月29日(1179年3月9日) | 基通の長男 |
4 | 近衛兼経 | 承元4年5月4日(1210年5月28日) | 家実の三男 |
5 | 近衛基平 | 寛元4年(1246年) | 兼経の永男 |
6 | 近衛家基 | 弘長元年(1261年) | 基平の長男 |
7 | 近衛家平 | 弘安5年(1282年) | 家基の長男 |
8 | 近衛経忠 | 乾元元年(1302年) | 家平の男子 |
9 | 近衛経平 | 弘安10年(1287年) | 家基の次男 |
10 | 近衛道嗣 | 元弘3年(1333年) | 経平の男子基嗣の男子 |
11 | 近衛兼嗣 | 延文5年/正平15年7月27日(1360年9月8日) | 道嗣の男子 |
12 | 近衛忠嗣 | 永徳3年(1383年) | 兼嗣の男子 |
13 | 近衛房嗣 | 応永9年(1402年) | 忠嗣の男子 |
14 | 近衛政家 | 文安3年8月1日(1446年8月23日) | 房嗣の次男 |
15 | 近衛尚通 | 文明4年10月12日(1472年11月12日) | 政家の男子 |
16 | 近衛稙家 | 文亀2年(1502年) | 尚通の男子 |
17 | 近衛前久 | 天文5年(1536年) | 稙家の男子 |
18 | 近衛信尹 | 永禄8年11月1日(1565年11月23日) | 前久の男子 |
19 | 近衛信尋 | 慶長4年5月2日(1599年6月24日) | 後陽成天皇の第四皇子 |
20 | 近衛尚嗣 | 元和8年3月10日(1622年4月20日) | 信尋の男子 |
21 | 近衛基熙 | 慶安元年3月6日(1648年4月28日) | 尚嗣の男子 |
22 | 近衛家熙 | 寛文7年6月4日(1667年7月24日) | 基熙の男子 |
23 | 近衛家久 | 貞享4年5月8日(1687年6月17日) | 家熙の男子 |
24 | 近衛内前 | 享保13年6月22日(1728年7月28日) | 家久の男子 |
25 | 近衛経熙 | 宝暦11年2月22日(1761年3月28日) | 内前の男子 |
26 | 近衛基前 | 天明3年8月11日(1783年9月7日) | 経熙の男子 |
27 | 近衛忠煕 | 文化5年7月14日(1808年9月4日) | 基前の男子 |
28 | 近衛篤麿 | 文久3年6月26日(1863年8月10日) | 忠煕の四男忠房の長男 |
29 | 近衛文麿 | 明治24年(1891年)10月12日 | 篤麿の長男 |
30 | 近衛文隆 | 1915年(大正4年)4月3日 | 文麿の長男 |
31 | 近衛忠煇 | 昭和14年(1939年)5月8日 | 細川護貞の次男 |
次当主 | 近衛忠大 | 昭和40年(1970年)7月18日 | 忠煇の長男 |
分家
- 鷹司家(摂関家):家実の四男・兼平が祖。
- 多羅尾家(武家、江戸幕府旗本):家基の次男・経平が祖。
- 常磐井家(男爵家):忠煕の七男・堯煕が祖。
- 水谷川家(男爵家、奈良華族):忠煕の八男・忠起が祖。
- 近衛秀麿家(子爵家):篤麿の次男・秀麿が祖。