近衛忠煕
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このえただひろ
近衛忠煕とは江戸時代末期の公家。
安政4年(1857年)に左大臣に就任したが将軍継嗣問題で一橋派に着いたことで安政の大獄に関与したことで落飾し謹慎をする。
文久2年(1862年)に復帰し九条尚忠に代わって関白と内覧に就任。翌年の文久3年(1863年)に辞任し関白は鷹司輔煕が就任した。
明治維新後は他の公家は東京に移住したが、忠煕は京都に残り孫の篤麿の養育をした。その後明治天皇の要請に伴い東京に移る。子の忠房の死後だった。
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