曖昧さ回避
- 戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した人物。当項にて記載。
- 「戦国武将姫MURAMASA」に登場するキャラクター。
- 「織田信奈の野望」に登場するキャラクター。→ 近衛前久(織田信奈の野望)
プロフィール
時代 | 戦国時代~江戸時代初期 |
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生誕 | 天文5年(1536年) |
死没 | 慶長17年5月8日(1612年6月7日) |
改名 | 近衛晴嗣、近衛前嗣、近衛前久、龍山 |
官位 | 従一位、太政大臣・准三宮 |
主君 | 後奈良天皇 → 正親町天皇 → 後陽成天皇 |
氏族 | 藤原北家嫡流、近衛家 |
概要
経歴
天文5年(1536年)に、公家の頂点である摂関家の筆頭・近衛家の16代目当主である父近衞稙家の長男として生まれた。
母は久我通言の養女久我慶子であるが、実は細川高基の娘である。
天文9年に元服し、叔母・慶寿院の夫である12代将軍・足利義晴から一字を賜り近衛晴嗣を名乗るようになる。
天文23年には19歳という若さで関白・左大臣となり、翌年には従一位に昇叙し名を近衛前嗣と改めた。
川中島の戦いのころには名を近衛前久とに改め、花押を公家様式から武家様式のものに変えている。
関白となってからは朝廷と足利幕府の復興のために奔走し、長尾景虎(上杉謙信)と血判誓紙を交わして彼を支援し、景虎を関東管領職に就任させ関東を治めさせた。
本能寺の変によって落飾した前久は龍山と号する。
人物
和歌や書に秀で有職故実に通じ、乗馬や鷹狩りにも一流の才覚があり、彼が著した鷹の種類や鷹狩りの作法・装束・道具についての和歌百首を集めた鷹狩りの秘伝書である『龍山公鷹百首』は、豊臣秀吉や徳川家康もテキストとして秘蔵したほどだったという。
あの織田信長と同等の傑物であったとされており、同じ能力を持ち同じスケールで天下国家を考え、時に敵として戦い時に蜜月の関係を過ごし互いの才を認め合いながらも、足利幕府と繋がりが深かった前久と足利幕府にとって変わろうと目論む信長は相容れなかったという。