概要
近衛基実の長男、官位は従一位、摂政、関白、内大臣。別名は普賢寺殿。
プロフィール
時代 | 平安時代ー鎌倉時代 |
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生誕 | 永暦元年(1160年) |
死没 | 天福元年5月29日(1233年7月8日) |
官位 | 従一位、摂政、関白、内大臣 |
主君 | 高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇 |
氏族 | 近衛家 |
父母 | 父:近衛基実、母:藤原忠隆の娘 |
妻 | 平完子 (平清盛の娘)、源顕子(源顕信の娘)、他 |
子 | 家実、道経、ほか |
経歴
嘉応2年(1170年)に元服した、侍従・右近衛少将となり、承安2年(1172年)に従三位、治承3年(1179年)の政変で松殿基房が解任され関白・内大臣に就任、翌年の治承4年(1180年)に関白を辞任し摂政となる。寿永2年(1183年)に平家の都落ちに同行したことで摂政を解任されたが後に都に戻り摂政に再任した。文治2年(1186年)に摂政を辞任、建久7年(1196年)に九条兼実の失脚に伴い関白に再任した。建久9年(1198年)から建仁2年(1202年)まで摂政となる、承元2年(1208年)に出家した。