概要
生没年 建久6年(1195年)~寛喜3年(1231年)
第82代・後鳥羽天皇と、内大臣・源通親の娘・在子(承明門院)との間に第一皇子として生誕、諱は為仁(ためひと)。第84代・順徳天皇は異母弟にあたる。
建久9年(1198年)、わずか4歳にして父帝からの譲位を受け、践祚・即位。
『増鏡』によれば天皇は温厚な人柄であり、また世事にも疎かったことから、院政を敷き鎌倉幕府と政治的に対立することも多かった父・後鳥羽上皇から不興を買うこととなった。
この結果、承元4年(1210年)には父によって廃位を余儀なくされ、異母弟・守成親王が新たな天皇に立てられることとなった(第84代・順徳天皇)。
承久3年(1221年)に父・後鳥羽上皇が起こした「承久の乱」にはいっさい関与していなかったことから、後鳥羽上皇・順徳上皇とちがって幕府に罪に問われることはなかったが、みずからの意思で土佐国に下った。このような事情から、後には土佐から都により近い阿波国に遷され、幕命によって宮殿も建てられるなど、幕府も上皇に対しては様々な配慮を尽くしている。このことから土佐院、阿波院の別称がある。
上皇の京都還幸の噂は絶えることはなかったが、寛喜3年(1231年)10月、阿波国に出家したのち、すぐに崩御。京都長岡の金原陵(かねはらのみささぎ)に葬られた。
また、土御門帝の後ころころ変わったが
子である後嵯峨天皇の系統が今の天皇家にあたるので
血筋自体は絶えていない。
関連タグ
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