一条兼良
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いちじょうかねよし
一条兼良とは室町時代の公卿。
応永19年(1412年)に正五位下、右少将となり翌年に従四位上、右中将、従三位となる、応永21年(1414年)に正三位、権中納言、応永23年(1416年)に権大納言、後に右大将、左大将、内大臣に進み、応永31年(1424年)に右大臣となった、応永32年(1425年)に従一位、正長2年(1429年)に左大臣、永享4年(1432年)に摂政となる、文安3年(1446年)に太政大臣、翌年の文安4年(1447年)に関白、享徳2年(1453年)に関白を辞任、応仁元年(1467年)に関白に再任したが応仁の乱で邸宅が焼かれ興福寺大乗院の門跡である子尋尊の元へ逃れた、文明2年(1470年)に関白を辞任、文明5年(1473年)に出家、文明9年(1477年)に帰京。
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