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生没年 1419(応永26)年~1471(文明2)年

在位  1428(正長元)年~1464(寛正5)年

諱   彦仁


伏見宮貞成親王の第1王子。元来であれば伏見宮家第4代当主となるべき人物であったが…


生涯編集

伏見宮家は北朝第3代・崇光天皇の第1皇子・栄仁親王を祖とする家であるが、崇光天皇の後を叔父である弥仁王が後光厳天皇として即位し、その後も後光厳天皇の子孫が皇位を継承しており皇統を取り戻すことは悲願でもあった。


正長元年、101代・称光天皇が後継者を定めずに崩御すると、後南朝勢力を抑えようとする室町幕府第6代将軍・足利義宣(後の義教)が祥光天皇の父である後小松上皇に彦仁王を後継者とするよう認めさせた。


在位中は義教に反発した関東公方・足利持氏の叛乱(永享の乱)や義教を暗殺した赤松満祐の叛乱(嘉吉の乱)、さらに各地で一揆が多発したことで政情が不安定となっていた。それらに対し後花園天皇は反逆者に対しては朝敵と定め、追討軍には治罰綸旨を発給し、朝廷の権威向上に努めた。


寛正5年に成仁親王に譲位したが、1467(応仁元)年に応仁の乱が発生した。東軍の畠山政長に対する治罰綸旨が乱の発端になったと責任を感じ、同年9月に出家・隠棲した。


人物編集

上記のように朝廷の権威回復に努めたことから「中興の英主」と呼ばれることが多い。

奢侈を続ける第8代将軍・足利義政に漢詩で行いを窘めているが、一方で蹴鞠を通じて関係は良好だった模様である。


皇統編集

・観心女王

・成仁親王(第103代・後土御門天皇

・皇女

・照厳女王


関連タグ編集

天皇 朝廷

伏見宮

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